大仏次郎と猫

江ノ電の長谷駅を降りて北へ進むと、大仏が鎮座する高徳院が見えてきます。作家、野尻清彦は、その大仏の裏手に住んでいたことから、ペンネームを「大仏次郎」としました。 大仏次郎は無類の猫好きで、自宅には常に10匹以上の猫が出入りしていたといいます。『スイッチョねこ』という童話や、猫にまつわるエッセイ集『猫のいる日々』といった作品も残して…
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木下杢太郎の生家訪問

伊豆半島の中ほど、伊東温泉を訪れた帰りに、伊東市内にある木下杢太郎の生家を訪ねました。 木下杢太郎(本名:太田正雄)が生まれたのは明治18年8月1日、幼い頃から江戸文化や明治の近代文化に親しんだ彼は、13才のときに上京。独協中学、一高、東大医学部へと進みました。 杢太郎の実家は『米惣』という雑貨問屋でした。記…
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大佛次郎の墓を訪ねて~著名人の墓探しのテクニック

大佛次郎は1921(大正10)年、結婚を期にそれまで住んでいた東京を離れ、鎌倉に移りました。「大佛次郎」は野尻清彦の数あるペンネームの一つで、デビューから数年の間に書かれた百作に近い長短編では17のペンネームを使い分けていました。1924(大正13)年に事実上のデビュー作となる大衆小説「隼の源次」を執筆した際、鎌倉長谷の大仏の裏手に居を…
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【上海通信】宋慶齢の切手

このブログで、二回にわたって、宋慶齢をとりあげましたが(宋慶齢の旧居(1)、宋慶齢の旧居(2))、今回は中国から発行されている宋慶齢にちなむ切手を紹介しましょう。 宋慶齢の死去一年にあたる1982年5月29日、「名誉国家主席宋慶齢死去一周年」と題して二種類の切手が発行されました。 この切手に取り上げられた宋慶齢は眼鏡をか…
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【上海通信】宋慶齢の旧居訪問(2)

前回に続き、宋慶齢旧居について紹介いたします。 淮海中路沿いの入り口から宋慶齢旧居の敷地へと足を踏み入れると、正面奥が旧居、右手に宋慶齢文物館が並んでいます。入口の前には宋慶齢の白い座像が鎮座し、訪れた人の多くがここで記念撮影をしていました。この文物館には、宋慶齢の生い立ちを紹介する資料が展示されています 文物館の入…
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【上海通信】宋慶齢の旧居訪問(1)

日本は梅雨明けで猛暑が続いているようですね。上海は薄曇りでそれほど暑さが厳しいわけではないのですが、蝉のシャワーで目覚める毎日です。 さて、せっかく上海に駐在しているので、休日には往時の上海の面影をもとめて市内をぶらぶら歩いています。先日は自宅から地下鉄で数駅のところにある宋慶齢の旧居を訪問しました。 上海市内を東西に貫く淮…
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中国の馬年年賀切手

昨年4月から上海に駐在しています。早いもので、駐在開始からもうすぐ一年になろうとしています。この冬、初めて中国の春節を体験しました。今年は、1月31日が春節、いわゆる元旦にあたり、その前日、30日が除夕(大みそか)でした。30日は夕刻になると街中で花火や爆竹が鳴り響き、賑やかな一夜でした。 さて、そんな春節気分を少しでも伝えるため…
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軽井沢 有島武郎の別荘「浄月庵」は今

前回のブログで紹介した有島武郎の終焉の地には、かつて武郎の別荘「浄月庵」がありましたが、この建物は現在、軽井沢高原文庫の傍に移築復元され、喫茶店「一房の葡萄」として利用されています。昨年9月にここを訪問してきましたので、紹介したいと思います。 道路に面した看板には「ライブラリーカフェ 一房の葡萄 旧有島武郎別荘 浄月庵」と…
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軽井沢 有島武郎終焉の地を訪ねて

有島武郎は大正12年(1923年)年6月、軽井沢の山荘で心中を遂げました。昨年9月、その山荘跡地を訪問してきましたので紹介したいと思います。 軽井沢で最期を迎えた有島武郎は、私の故郷である北海道にもゆかりのある作家です。武郎は札幌農学校(現在の北海道大学)で学び、後に英語教師として農学校の教壇に立っていました。また、私の実家からほ…
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盛岡高等農林の絵はがき~宮澤賢治の命日にちなんで

本日、9月21日は宮澤賢治の命日です。昭和8(1933)年9月21日、宮澤賢治は37歳でこの世を去りました。それにちなんで、今日は賢治が通っていた盛岡高等農林学校の絵はがきを紹介しましょう。 これまでも、明治37年の手紙、自啓寮の絵はがき、校舎と自啓寮の絵はがきなどを紹介してきました。今回新たに紹介するのも、寄宿舎で生活していた学…
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晩年の子規が口にした食事~糸瓜忌にちなんで

昨日の糸瓜忌にちなんで、今日も正岡子規について書いてみたいと思います。 晩年の子規は脊椎カリエスという重病に侵され、寝床から起き上がることすら困難でしたが食欲は至って旺盛でした。明治34年9月2日、子規は病床の日々を『仰臥漫録』という手記に綴りはじめました。この『仰臥漫録』には、自ら口にした日々のメニューが克明に記録されています。…
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松山の絵はがき~糸瓜忌にちなんで

本日、9月19日は正岡子規の命日、糸瓜忌です。 1902年(明治35年)9月19日、正岡子規はわずか35歳で世を去りました。それにちなんで、正岡子規の故郷、松山の歴史を感じさせる絵葉書を2点、紹介しましょう。 まずは、松山城の遠望写真をデザインした戦前の絵はがきです。 キャプションには右書きで「道後名勝 道後公園より…
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宮澤賢治が暮らした自啓寮

本日、8月27日は宮澤賢治の誕生日です。今から117年前の明治29(1896)年8月27日、宮澤賢治は岩手県稗貫郡花巻町(現在の花巻市)に生まれました。今日はそれにちなんで、賢治が通っていた盛岡高等農林学校の絵葉書を紹介しましょう。 以前、このブログでも、盛岡高等農林の絵葉書を紹介しましたが、この絵葉書はブログが縁で、もう一通の明…
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窪田空穂の隣に住んでいた「先生」の謎

昨年5月、窪田空穂の書簡とその本文をこのブログで紹介したところ、書簡の宛名人に関する詳細なコメントをいただきました。その中で、「隣りの先生、虫歯でやつれてゐます。」という部分の「隣の先生」について、少し調べてみましたので紹介いたします。 ブログのコメントでは、會津八一のエッセイ『續渾齋隨筆』(中公文庫)にそのヒントがあるとご教示い…
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北原白秋と平塚音頭~風景印に描かれた碑の形状の謎

先日、平塚富士見局の風景印を押印してきましたので紹介します。 風景印の図案は、東海道五十三次の「平塚」をそのまま取り込んだもので、広重のサインや落款なども正確にデザインに反映されています。五十三次の「平塚」をとりあげた2004年の国際文通週間の90円切手に押印してみましたので、切手と比較するとよくわかるかと思います。 丸い形…
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徳富蘆花の墓をデザインした風景印

以前、世田谷の芦花公園にある徳富蘆花の墓を訪問し、このブログでも紹介しましたが、その墓をデザインした風景印を押印してきましたので紹介いたします。 これは小田急成城学園前駅から徒歩で20分ほどの場所にある成城郵便局の風景印です。 風景印の上部に描かれているのは成城学園前通りのイチョウ並木です。押印で訪れ…
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武者小路実篤の旧居を訪ねて

昨日ブログで紹介した武者小路実篤記念館は、実篤の旧居敷地に隣接して建っています。記念館訪問にあわせて、旧実篤邸も見学してきましたので紹介しましょう。 昭和29年10月、武者小路実篤は京王線仙川駅近くの泉と池のある約1,000坪の土地を購入し、新居の設計を依頼しました。実篤は子供のころから「水のあるところに住みたい」と願っていたとい…
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実篤記念館「本の美 ~装幀と挿絵~」展を見てきました

皆様、あけましておめでとうございます。いつも本ブログにおつきあいいただき、ありがとうございます。 昨年9月以降、業務多忙のため更新ままならなかったブログも、年が改まったのを機会に再開したいと思います。まずは昨秋に訪問したいくつかの企画展から、調布の武者小路実篤記念館で開催されていた「本の美 ~装幀と挿絵~」展について、紹介いたしま…
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タイタニック号沈没から100年(2)4本目の煙突はダミー!?

前回のブログに続き、タイタニック関連の切手を紹介しましょう。 これは、2012年にカナダから発行された小型シート。航行中のタイタニック号の全体像を収めたデザインです。 背景には北大西洋の地図が描かれ、右には処女航海の出発地点であるサウザンプトン(Southampton)、左側には救難活動の拠点となったカナダのハリファ…
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タイタニック号沈没から100年(1)悲劇を伝えるイギリスとカナダの切手

私が中学生だった頃、今からもう20年以上前の話ですが、英語の教科書にタイタニック号の悲劇をテーマとした教材がとりあげられていました。 沈みゆくタイタニック号から一斉に避難する乗客たち。その中に、救命ボートが足りないために引き裂かれそうになる母子の姿。とある若い女性が、その母親の身代わりとなって救命ボートから船に戻り、母子は無事救助…
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