江戸川乱歩 早稲田の下宿と土蔵

江戸川乱歩は、作家として多忙な日々を送りながらも自己嫌悪に陥り、休筆を宣言して、早稲田界隈で下宿屋を営んでいた時期がありました(実際には下宿の経営は妻にまかせ、自身は放浪の旅に出ていたようですが)。まず、昭和2年3月、早稲田大学正門前(戸塚町下戸塚62)の下宿屋「筑紫館」の権利を買って3代の家族を住まわせました。また昭和3年3月には筑紫館を売却、戸塚町下諏訪115の借家に転居し、新しい下宿「緑館」を開業しました。この緑館は、平凡社版大衆文学全集『江戸川乱歩集』が16万部売れたのが購入資金になったといわれています。

乱歩が自分の生涯をスクラップブック風にまとめた「貼雑年譜(はりまぜねんぷ)」には、この緑館の入居者募集の案内のチラシが貼り付けてあります。前回のブログでも紹介した神奈川近代文学館の企画展「大乱歩展」では、この「貼雑年譜」の実物が展示されていました。

「貼雑年譜」は、モノクロで実物大の復刻がなされているものを図書館で借りたことがありますが、「緑館」の案内チラシが鮮やかな緑色を基調としたデザインであるのを、今回の展示で初めて知りました。

私も、学生時代は高田馬場の古風な賄付の下宿で暮らしていた時期があり、乱歩の下宿屋には親近感を覚えます。緑館の案内チラシには「旅館・下宿 緑館」とあります。私の住んだ下宿も、昭和11年に建てられた当初は旅館だったと聞いたことがあります。昭和初期の下宿屋は、どこも下宿と旅館を兼ねていたのかもしれません。

また、乱歩は緑館の平面図を「貼雑年譜」に詳細に書き込んでいますが、私が住んだ下宿と同様、中庭を囲んで和室が並ぶレイアウトでした。下宿や旅館といえば、当時は皆同じようなつくりになっていたのでは、と思われます。

さて、今回紹介する小型印は、乱歩が書庫として使っていた土蔵をデザインしたものです。

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この土蔵、もともとは関東大震災の直後に大阪市東区の坂輔男家の別宅の一部として1924(大正13)年に建てられました。その後別宅は借家となって、1934(昭和9)年からは乱歩が住み、土蔵を書庫として使いました。

旧江戸川乱歩邸と土蔵は立教学院が譲り受け、現在は膨大な蔵書とともに立教学院の所有になっています。

http://www.rikkyo.ac.jp/aboutus/profile/facilities/edogawaranpo/index.html

土蔵は豊島区より文化財の指定を受けて2003年から復元工事が行われました。2004年に復元工事が完了し、2004年8月19日から24日まで東武百貨店池袋店にて「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」が開催されたのにあわせ、土蔵の一部が公開されました。

小型印の「江戸川乱歩展」は、この展示のことです。旧江戸川乱歩邸公開場所に設けられた立教学院内郵便局の臨時出張所および東武百貨店池袋店10階展示会場にて、8月19日から24日の期間限定で使われました。

実はこの展示、私は都合で見に行けず、小型印は郵頼にて入手したものです。江戸川乱歩は切手には取り上げられていませんので、数少ない乱歩関連の郵趣マテリアルの一つです。


下の写真は、先日「大乱歩展」を見に行った、神奈川近代文学館の夜景。振り返ると、ベイブリッジを正面に眺めることができます。
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