盛岡高等農林学校からの手紙

大正4年、盛岡高等農林学校の農学科第二部に合格した宮澤賢治は、故郷花巻を離れ、「自啓寮」という男子寮で学生生活を送りました。当時、入学した新入生は全員が寮に入ることが校規となっていたようです。賢治は、その寮で同室だった保坂嘉内らと謄写版刷りの同人誌「アザリア」を発行し、短歌や短編を発表していました。地学や化学に本格的に触れたのも、この時期です。賢治の創作活動の原点は、盛岡高等農林時代にあると言っても良いかと思います。

さて、その自啓寮の絵葉書を偶然見つけたので、紹介したいと思います。

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木立に囲まれた板張りの二階建ての寮舎の写真を絵葉書にしたものです。よく見ると、寮の入り口のそばに、連れ立って歩く二人の学生らしき人の影も写っています。

この絵葉書、実は実逓便(実際に郵便で送られたはがき)です。賢治が書いたものではなく、差出は大正11年5月24日、盛岡高農 上田某とあります。あて先は、大阪府三島郡富田村(現在の大阪府高槻市)となっています。文面に「大阪がなつかしうて」とあるので、盛岡高等農林に進学し、盛岡で寮生活を送っている大阪出身の学生が、大阪に住む友人に宛てたものと推察できます。

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葉書の文面にある「追々と春らしい気分が去る。植物園の若葉は出で、落葉松は異彩をはなつ。林檎の花も咲く。苺も咲いている」「岩手山にはまだ雪がある。それから来る風が寒くて、綿入れの着物を着てゐる。」という表現に、新緑の季節となりつつも、まだ山には雪が残るという、北国の季節の移ろいのあやうさが表されているように思えます。

大正11年といえば賢治は26歳、盛岡高等農林学校を卒業して4年後、花巻で農学校の教師をしていた時期にあたります。この葉書を書いた学生とは接点はないと思いますが、賢治と同時代を生きた学生の息吹に触れることができただけでも、ちょっと嬉しいですね。

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この記事へのコメント

弘文堂
2010年09月20日 11:55
出版社弘文堂編集部の鈴木と申します。はじめてご連絡いたします。じつは、小社で編集中の『宮澤賢治イーハトヴ学事典』のなかで、この寮の写真を掲載できればと希望しておりまして、ご相談を差し上げたい次第です。
ただ、編集の最終局面で、もう編集費は底をついておりまして、私費で5000円くらいでお借りできるならと思い、あたってくだけろのご相談なのです。突然むしの良いご連絡で恐縮です。もしもとりあえずお話しを聞いていただけるようでしたら、小社代表アドレス kbd@koubundou.co.jp にご連絡いただけないでしょうか。
以下に、小社のURLも記します。
http://www.koubundou.co.jp/
ご連絡頂戴できましたら幸甚です。

弘文堂編集部 鈴木
〒101-0062 千代田区神田駿河台1-7
Phone. 03-3294-4801
2010年09月23日 15:44
弘文堂編集部 鈴木さま

コメントありがとうございます。

当方、個人のコレクションで、商売ではありませんので、無償で活用いただいてかまいません。他にも明治期の高等農林の絵はがきなど所有しています。

詳細は別途、メールしました。こちらこそ、お役に立てて光栄です。

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