与謝野晶子と堺(2)

前回のブログで紹介した与謝野晶子の生家跡の碑ですが、どうやら以前は少し違う場所にあったようです。

先日入手した大谷晃一著『大阪文学散歩』(保育社 カラーブックス 昭和56年11月5日発行)を見ていると、例の晶子の生家跡の碑の写真が掲載されていました。

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私が訪れた2009年12月時点では、以下のような状況でした。

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背景の違いがおわかりいただけますか。1981年当時は、碑のすぐ後ろに路面電車の阪堺線が走っており、どうやらその線路脇の植え込みに囲まれるように、生家の碑が設置されていたようなのです。

ところが、現在は、明らかに碑の後ろは道路、その少し後ろを路面電車が走っています。路面電車の線路が移動したとは考えにくにので、これは碑の場所が線路脇から少し下がった道路わきに移動したと考えるのが妥当かと思われます。

碑そのものの形状は変わっていないので、昭和36(1961)年に設立された当時のものが、今も建っていると見てよいかと思います。

さて、せっかくなので、大阪南海堺駅内郵便局の風景印を紹介しましょう。

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郵便局は駅構内にあり、局の前には丸型ポストが設置されていました。

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風景印に描かれているのは、国指定史跡の旧堺灯台です。イギリス人技師によって設計され、明治10年に建造された高さ11.3メートルの木造洋式灯台で、約1世紀の間、大阪湾を航行する船の安全を守ってきましたが、昭和43年に役目を終えています。駅の近くの堺市立市小学校(いちしょうがっこう)の校庭には、この灯台を模した時計塔が建っており、そばの道路からも間近に見ることができます。

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さて、次回は、与謝野晶子の歌碑をデザインした風景印を紹介しましょう。


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