尾崎一雄文学碑と宗我神社

前回のブログで紹介した尾崎一雄の書簡。この書簡が差し出された地を訪ねてみました。

JR御殿場線の下曽我駅から徒歩10分ほどのところに、宗我神社の一の鳥居があります。この鳥居をくぐった右手に、尾崎一雄の文学碑があります。

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この碑は、昭和56年4月26日、尾崎一雄が81歳の時に建立されました。文学碑や句碑の類は、たいていその作家の没後に建てられるものですが、この碑は昭和55年が小田原市の市制40周年にあたることから、市長自らの提案で、尾崎一雄の存命中に実現したものでした。

碑文は、随筆『虫のいろいろ』から選ばれた、以下の文章です。

「富士は天候と時刻とによって身じまひをいろいろにする。晴れた日中のその姿は平凡だ。真夜中、冴え渡る月光の下に、鈍く音なく白く光る富士、未だ星の光が残る空に、頂近くはバラ色、胴体は暗紫色にかがやく暁方の富士」

碑文のもとになった文字は、この文学碑のために、尾崎一雄自らが改めて書いたものです。小田原市教育委員会の内山忠昭に電話して、墨書きしたものを取りに来てもらった、という記述が、随筆集『苺酒』に見えます。下は、碑の解説板。

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持参した尾崎一雄の直筆書簡と一緒に記念撮影。しばし里帰りですね。この書簡について、詳しくは前回のブログを参照ください。→http://ikezawa.at.webry.info/201003/article_2.html

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一の鳥居をくぐって坂道をまっすぐ登っていくと、突き当たりに宗我神社が見えてきます。神社の前の樹木には、鞠のような宿木がいくつも見えますね。

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この右手が、旧尾崎邸だったようですが、現在、建物はここにはなく、小田原文学館の敷地に移築されています。

下は、宗我神社の本殿。尾崎家は、祖父の代まで、ここ宗我神社の神主でした。宗我神社の祭神は、宗我都比古命、宗我都比女命です。

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奈良の橿原市曾我町に、ここの神社と同じ祭神を祀っている「宗我都比古神社」があります。その神主だった宗我保慶が、長元元年(1028年)に、富士山を望む下曽我の地に、この神社を創建したと言われています。

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訪問したのは1月24日、一帯の梅林からは梅の香りが漂いはじめていました。

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実は、宗我神社のそばに尾崎一雄の墓があるのですが、今回訪問し忘れてしまいました。次回はぜひお参りしてこようと思います。



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