原爆ドームの絵はがき

今年は、広島に原爆が投下されて65年目にあたります。先日の平和記念式典には、米駐日大使が初めて出席し話題となりましたが、毎年この季節は、戦争の歴史がまだ終わっていないことを、つくづく実感させられます。

さて、今回は、私のコレクションの中から、被爆前の原爆ドームの絵はがきを紹介します。

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原爆ドームは、明治の末、広島県産の製品の販路を拡大する目的で計画された「広島県物産陳列館」という建物でした。

広島県会で建設が決定されたのが1910年(明治43年)、5年後の1915年(大正4年)に竣工しました。開館は同年8月5日(原爆投下の8月6日と1日違い、というのも、なんだか運命めいていますね)。

設計したのは、チェコ人の建築家、ヤン・レッツェル(Jan Letzel)。ネオバロック式のこの建物のドームは銅板だったため、建設当初は赤く輝いていたそうですが、時代を経て緑青(緑色)に変色したとか。


さて、この建物、何度か名前が変わっています。

1921年(大正10年)1月からは「廣島県商品陳列所」、1933年(昭和8年)11月からは「廣島県産業奨励館」と名称変更が行なわれました。この建物では、県内の物産の展示即売や美術展覧会、博覧会、共進会などの文化的なイベントが行なわれていました。

下に紹介するのは、大正9年の消印のある葉書です。

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絵はがきには、「廣島物産陳列館」とあります。

ちなみに、このはがき、表面を見ると、暑中見舞いであることがわかります。

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また、下に紹介する2枚の絵はがき(おそらくセット)では、「廣島商品陳列所」とあります。2枚目の絵はがきは、元安橋から眺めた景色で、周辺の商店の建物などもよくわかります。現在、この一帯は公園になっていますが、かつては住宅が密集していたのですね。

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名称の表記から、上の二枚のはがきが作成されたのは、大正10年から昭和8年までの間と推察できます。

さて、次に紹介するのは戦後作成された、被爆前後の建物をデザインした絵はがきですが、ここでは、原爆投下時の「産業奨励館」という名称が使われています。

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この絵はがき、表面には、「1953年」という表記のあるスタンプが押されているので、原爆投下から8年以内に作られた絵はがきだと思われます。

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参考までに、もう一つ、被爆地の範囲を示した資料が手元にあるので、載せておきます。旧かなが使われているので、比較的古い時代の資料と思われますが、地名など英語が併記され、海外向けのアピールも意識したものになっています。

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古い絵はがきを集めていると、このように、今では決して見ることのできない景色に出会うことが少なからずあります。歴史を物語るこれらの資料は大切に残していきたいものです。

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  • 広島平和記念資料館のパンフレット

    Excerpt: 今日は広島に原子爆弾が投下されて66年目にあたります。朝の記念式典の報道では、被爆した方々の高齢化が進み、式典会場に車椅子用のスロープが設けられたことなどが報じられていました。毎年この日は、多くの方々.. Weblog: 切手と文学 racked: 2011-08-07 08:35