啄木と大森浜

今、北海道の実家に帰省しています。東京も猛暑日が続いていますが、北海道も例年になく暑い日が続いています。

さて、今日は北海道にちなんで、石川啄木を描いた函館の風景印を紹介しましょう。

明治38(1905)年、19歳の啄木は経済的に困窮していました。父が宗費滞納を理由に住職を罷免させられ、結婚していた啄木は、妻と両親と妹の4人を養うという重責を背負っていたのです。

翌明治39(1906)年4月には、なんとか渋民村の代用教員の職を得ることができましたが、月給はわずかでとても一家を養うことはできませんでした。

そんな中、父が家出してしまいます。啄木も校長排斥のストライキが原因で免職されてしまい、妻と生まれたばかりの娘は盛岡の実家へ戻ってしまいました。文字通り、一家離散の窮地に追い込まれた啄木自身は、妹を連れて、知り合いのいる函館へ向かうことを決意します。

石川啄木が函館の地を踏んだのは、明治40年の5月でした。小学校の代用教員の職を得、函館日日新聞編集局でも活躍の場を見つけたと思ったのもつかの間、同年8月の函館大火で小学校や新聞社などを失って、9月には札幌に移っています。

啄木が函館で暮らしたのは、わずか132日間でしたが、啄木の歌碑やゆかりのスポットは函館市内で数多く見つけることができます。津軽海峡に面した大森浜も、啄木がよく散策した場所として知られているゆかりのスポットです。

啄木の処女歌集『一握の砂』の冒頭にある、

東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる

という一首は、この大森浜の記憶を後年思い出して詠んだものといわれています。

この大森浜に面して「啄木小公園」があります。ここに、砂浜を見下ろすようにして、啄木の坐像が建っています。

すでにおわかりの方もいらっしゃるかと思いますが、本ブログのトップページに使用している写真は、この大森浜の啄木坐像を後ろから撮影したものです。

函館日乃出郵便局の風景印には、この啄木の坐像とはまなす、函館山がデザインされています。


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この像の台座には、以下の一首が刻まれています。

潮かをる北の浜辺の
砂山のかの浜薔薇よ
今年も咲けるや

この歌からもわかるように、啄木が函館をテーマに詠んだ歌は、函館在住時代に生まれたものではなく、後年、北海道漂泊時代を回想しながら詠んだものです。

ところで、この風景印は、私が初めて函館を旅行した昭和63年当時、おそらく現地の郵便局で入手した、函館郵便局郵趣会の作成になるはがきに押印したものです。

画像


風景印を押して、自分宛に送っています。当時はまだ郵便番号が5桁だったのですね。当時私は小学生、風景印を集め始めた頃だったと思いますが、それからすでに20年以上もたつのですね。やっていることが、今と大して変わらないという事実に、我ながらびっくりしています。

このはがき、40円の官製はがきの表面に、立待岬の夕焼けをバックにした啄木の像がカラーでプリントされ、一瞬エコーはがきかと思うようなつくりになっています。当時は、このような官製はがきを使った私製の記念品を郵便局などでよく見かけましたが、最近はどうなのでしょうか。

この公園、函館の中心地からは少し離れており、車がなければちょっと回りにくいところですが、啄木ゆかりの場所としてはぜひ訪れておきたいスポットです。

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  • 石川啄木のフレーム切手

    Excerpt: 今年は、石川啄木が歌集『一握の砂』を刊行して100年目にあたります。それを記念して、フレーム切手が発行されましたので紹介したいと思います。 Weblog: 切手と文学 racked: 2010-12-01 07:16