一葉切手の使用例

前回紹介した樋口一葉の文化人切手、今日はその使用例を紹介しましょう。

この切手が発行された当時は、国内封書料金が8円でしたので、通常の郵便物に一枚貼りで使える切手でした。もともと、普通切手と同様に広く使ってもらうことも意識して、発行枚数も、当時の記念切手の平均的な発行枚数である300万枚に比べて、3,000万枚と、かなり多めです。もっとも、3,000万枚発行されていたのは、野口英世、福沢諭吉、夏目漱石、坪内逍遥の、最初の4人だけで、5回目の市川団十郎からはコストがかかりすぎるという理由から1,000万枚に減らされています。凹版切手なので、グラビアに比べて印刷にもコストがかかっていたのでしょう。

さて、そんな一葉切手を、他の切手と一緒に使った郵便を紹介しましょう。

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1953年12月11日に、静岡からアメリカに宛てて出されたものです。一葉切手以外にも、吉野熊野国立公園の大峰山(5円:1949年4月10日発行)、観光地百選の宇治川(8円:1951年8月1日発行)や、普通切手(1円、2円)が貼られ、当時使われていた切手がどのようなものかが一覧できるカバーになっています。

当時、外国宛の郵便物は24円でした。このカバーでも、金額の合計はぴったり24円です。

あて先をみてもわかるように、収集家が意図して作成した、いわゆるフィラテリックカバーですが、50年以上の年月を経て眺めてみると、この時代に切手というものが持っていた魅力が改めて感じられます。最近のきらびやかなデザインよりも、単色で美しいデザインを追求する、この時代の切手の方が、芸術性が高いように思うのですがいかがでしょうか。

もう一通、これも収集家が自身宛に差し出したものですが、いろいろスタンプが押されているので、紹介しましょう。

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消印は、「郵便創始八十周年郵便週間記念」の大阪局の特印。その下に、「郵便週間記念航空便 1951.4.23」のスタンプ。当時は、航空便で郵便を送ることが特別視されていたことがわかります。1950年代の主力民間航空機はDC-4。この郵便も、DC-4で運ばれたのでしょうか。

「郵便週間」とは、1871年4月20日(旧暦3月1日)に、東海道で郵便の取り扱いが始まったのを記念して、1943年(昭和18)に郵政省が制定した逓信記念日(4月20日)を含む一週間のこと。現在では、「切手趣味週間」という呼び方が一般的ですね。

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裏を返すと、差出人の住所などが青いスタンプで押されていますが、東京の到着印の時刻は6-12(午前6時から正午))。さすが航空便だけあって、午前中に差し出した郵便が、当日の午前中には東京に到着していることがわかります。今では当然のことかもしれませんが、当時はまだ鉄道による輸送が一般的だった時代のこと。航空便専用の切手も発行されていました。

ちなみに、国内の航空郵便制度は、1953年に現在の速達制度に統合されてしまい、今では国内の郵便物を特に指定して「航空便で」という発想はなくなってしまいました。北海道から差し出した手紙が翌日東京に到着、ということも、タイミングによっては普通になっているようです。

話はそれましたが、文化人切手が発行されていた時代は戦後の郵便制度がいろいろ変動していた時期でもあり、こうした郵便物から歴史を紐解いてみるのも、また楽しいものです。

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