吉井勇の書簡

前回、京都祇園の吉井勇の歌碑を紹介しましたが、それに関連して、今日は吉井勇が京都から差し出した書簡を紹介したいと思います。

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吉井勇は東京の生まれですが、昭和13年、53歳の時に京都市左京区北白川に居を定め、以後、昭和35年に75歳で没するまで、京都を第二のふるさととして過ごしました。

この書簡は、昭和19年3月28日に、速達で差し出されたものです。消印は、京都北白川と読めます。貼られている切手は、昭和18年2月21日に発行された靖国神社をデザインした17銭切手。当時、通常の封書は5銭、速達は12銭でした。ちなみに、この手紙が差し出されて四日後の昭和19年4月1日には郵便料金が改定され、封書は7銭、速達は20銭に値上げされています。

あて先は、東京都芝区白金台町1-15 大賀渡様となっています。左下の文字は、「御直披」と読めます。宛名人のみに読んで欲しいという意味でしょう。

「速達郵便」の赤い印は、だいぶ磨耗してかすれているようです。この手紙が描かれたのは太平洋戦争真っ只中の昭和19年。封筒自体も、わら半紙のような薄い用紙が使われており、物資不足を感じさせます。

裏面を見てみましょう。

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「京都市左京区北白川東蔦町二〇 吉井勇」とあります。

さて、この書簡は、とある古書店で入手したのですが、せっかくですので中身も紹介したいと思います。便箋二枚にわたって、自身の著書についての状況が書かれています。

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内容は以下の通りです。

「前略 ご依頼の件、唯今桜井書店から返事がまゐりまして、五十部だけ小生にわけてくれるといふことです。し可しまだ表紙カバーが出来ず、出版までには時間があるといふことです可らその点御承知おき下さい。
右は一旦小生の方へ送ってもらひ、歌を書いて可らあなたの方へ送ることにしませう可。或いは小生の代理としてあなたの方で直接桜井可ら受け取って頂くやうにしませう可。前の方だと現在の状態では中々面倒だとおもひますが、し可し小生の方ではその後の労はいとひません。いづれに可御決定願へればまた桜井の方へ云ってやります。
とりあへず右御知らせと同時におう可がひします。
            二十八日朝
                      吉井勇
大賀渡様

一度御入洛の機会をおつくり下されば好都合です。」

吉井勇は昭和19(1944)年に、桜井書店から歌集『旅塵』を出版しており、この書簡で触れられている本はこの歌集を指すものと思われます。当時は用紙の調達もままならず、出版社も計画通りに新刊書を発行する余裕はなかったようで、書籍を著作者に渡すのもなかなか苦労があったことが、内容から伺えます。

勇は完成した本を出版社から自分のところに送ってもらい、自作の歌と署名を書き入れてから知人に配ろうとしていたようです。この書簡をなぜ速達で出す必要があったのか、詳細は不明ですが、新刊の著書を早く読みたい旨の催促があったことに対する返信だったのかもしれません。

ひらがなの「か」を「可」と書き、「が」は「可」に濁点、というのも、一昔前の作家の原稿などではよくみかける表現ですが、いかにも歌人らしいですね。

この手紙は、吉井勇の名前が印刷されたオリジナルの便箋を使って書かれています。便箋の左下に、「吉井用箋」と印刷されています。戦時中であっても、しっかり自前の便箋を使って手紙を認めるあたり、歌人の風流なこだわりが感じられるような気がします。

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ところで、この書簡のあて先である大賀渡氏とは、どんな人物だったのでしょうか。本文の最後に、京都にぜひ来て欲しいという趣旨の一言がありますので、それなりに親しい間柄だったものと思われます。

調べてみると、1989年日本近代文学館に、大賀渡氏が収集した吉井勇コレクションが寄贈されていることがわかりました。吉井勇の書簡444通と著書あわせて502点とのこと。生前から交流のあった、吉井勇の著書のコレクターだったのでしょうか。この寄贈本の中に、勇の直筆献呈署名・直筆歌入りの『旅塵』は含まれているのでしょうか。機会があれば調べていたいと思います。

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