馬込文士村(2)萬福寺と室生犀星の句碑

前回紹介した大田区立郷土博物館の周辺には、馬込で暮らした文士にゆかりの場所が点在しています。そのすべてを一日でまわるのはとても難しいのですが、室生犀星の句碑があるという萬福寺は博物館のすぐそばでしたので、ついでに足をのばしました。

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上は萬福寺の本堂。山門脇の縁起を記した解説板によると、鎌倉時代の初期、建久年間(1190年頃)に時の将軍源頼朝の命により、頼朝の重臣の一人梶原景時が建立したのが始まりということです。最初は大井丸山というところに建てられましたが、元応二年(1320年)に火災にあい、景時の墓があったこの馬込に再建されました。かなり由緒のある寺院です。

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境内の案内図によると、本堂右手の鐘楼堂の脇に、犀星の句碑があるようです。
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左が鐘楼堂、右が魔尼輪堂です。ところが句碑らしきものが見当たりません。よく見ると、修復工事のためでしょうか、鐘楼堂の周囲がパイプの足場で囲まれており、その足場の陰に句碑らしきものが見えました。

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これが犀星の句碑です。左下に見えるのは足場のパイプの先端。なんとかして画面に入らないよう、立ち位置を変えてみたのですが、どうしても句碑全体を撮影しようとすると写りこんでしまいました。

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碑には、「陽炎」と題した句が刻まれています。

葱の皮 はがれしままに かぎろひぬ
                  馬込村
                  室生犀星

句碑の文字のうち、「馬込村」以外は白い塗料でなぞられていました。こうすると確かに文字はよく見えますが、地味な色合いの石に塗料の色だけ妙にくっきりしすぎているのが、やや風情を欠いているようにも見えます。

犀星は、昭和3年に田端から谷中(現在の山王4丁目)へ引越し、昭和7年に家を新築して馬込町東3-763に住みました。これは、現在の南馬込1-49-10、萬福寺の西側にあたります。現在は自宅は取り壊され、マンションになっています。マンションの前には、大田区によって解説板が建てられており、かろうじてここが犀星ゆかりの場所であることを伝えています。

犀星がこの自宅から差し出した葉書を、以前ブログでも紹介しました。はがきに押された住所印は「馬込町東3-763」となっています。
http://ikezawa.at.webry.info/201011/article_3.html

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解説板には、犀星が馬込を詠んだ短歌が引用されていました。

わが宿はまごめのさとの
藪なかに
灯ひとつ点れ
さぶしとは思はず

当時の馬込は、まだ淋しい場所だったようです。犀星は各地の苔を集めて庭造りに精を出していました。萬福寺の句碑は、この犀星宅の庭にあった庭石を使っているとのことです。犀星は、萩原朔太郎や佐藤惣之助ら親しい友人を呼んでは、庭のあやめを眺めたり、庭越しの月を楽しんだりしていました。旧宅跡に今、その面影はありませんが、庭石が句碑として残されていることに、犀星も喜んでいるかもしれません。

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