「金子みすゞ展」での発見(1)

そごう横浜店のそごう美術館で開催中の「金子みすゞ展」を見てきました。

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1930年に26歳の若さで自ら命を絶った金子みすゞ。生前は多くの詩を童謡雑誌に投稿し、詩人・西條八十にも注目されていましたが、没後はその名が世に出ることはほとんどありませんでした。みすゞが残した詩は512編、その多くが生前未発表のものです。50余年にわたって埋もれていたこれらの詩を再発見し、世に広めたのは矢崎節夫氏でした。大学生の時にみすゞの詩に出会って衝撃を受けた氏は16年かけてみすゞの詩を発掘し、1984年にみすゞの詩集出版を実現しました。

これまでも、何度かみすゞを紹介する今回のような展示が企画され、三年ほど前に私も銀座で参観したような記憶があります。最近は、震災後にテレビコマーシャルで繰り返し流れた詩「こだまでしょうか」をきっかけに、みすゞの詩はさらに注目を集めているようです。

さて、今回は音声ガイドを500円で借り、解説を聞きながら参観しましたが、これがなかなか参考になりました。

みすゞの少女時代の展示では、小学校の担任の先生であった大島ヒデ先生の声を音声ガイドで聞くことができました。
「...とにかくやさしい人だった。...」みすゞの思い出を語る大島ヒデさん、今はもう亡くなっているそうですから、貴重な肉声です。

また、みずゞの愛用していた形見の着物の展示解説では、矢崎節夫氏がその着物発見のエピソードを語っていました。

みすゞの母親であるミチさんが、みすゞの死後50年間箪笥にしまいこんだままにしていたその着物を、ある日ゴミにだそうと玄関においていたそうです。ミチさんがその日の新聞を開いた時、そこに偶然みすゞの記事が載っていて、件の着物が娘の形見であることに気づき、危うく捨てるのを留まったとか。運命の偶然が重なってここに存在しているという事実に、なんだか重みを感じます。

みすゞの弟正祐氏が大正13年から昭和5年にわたってみすゞに送ったはがき65通もまとめて展示されていました。これは、みすゞのお通夜の晩に、みすゞの部屋で正祐氏自身が見つけて持ち帰り、保存していたものだそうです。当然、みすゞからも多くの手紙が弟宛に差し出されたと思いますが、残念ながらそれらは残されていないようです。

今回の展示は二部構成になっていました。前半は、ゆかりの品々によるみすゞの生涯の紹介。後半は、みすゞを愛する63人の著名人による直筆メッセージに、各人の好きなみすゞの詩をあわせて紹介する展示となっていました。63人分をじっくり眺めていると正直ちょっと疲れましたが、意外な発見もあったので次回紹介したいと思います。

会場の入り口に、メモをとる方には筆記用具を貸しますとあったので思って申し出ると、A5サイズの小さい紙を一枚はさんだクリップボードと鉛筆を貸してくれました。なかなか気が利いています。おかげで、このブログに書いたような、いろいろな気づきを堂々とメモにとることができました。音声ガイドのヘッドフォンをつけて、クリップボードを片手に鉛筆を走らせる姿、何かの取材に見えたかもしれません。

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なお、今年はみすゞ没後81年ですが、この展示は没後80年にあたる昨年の3月24日から4月5日まで、大阪の大丸心斎橋店で開催され、その後全国を巡回しているため、企画のタイトルは「没後80年 金子みすゞ展」となっています。昨年の11月25日から12月6日まで松坂屋名古屋店で、東京地区では日本橋三越で今年の2月2日から14日まで、その後、京都では大丸ミュージアムKYOTOで今年の3月16から28日まで開催されており、横浜のそごう美術館では5月14日から6月5日までの開催となっています。

みすゞの生誕100年にあたる2003年4月11日には、みすゞの生家跡である山口県仙崎に「金子みすゞ記念館」が開館しました。ここには、みすゞが少女時代を過ごした家が復元され、直筆資料などが展示されているそうです。一度訪れてみたいものです。

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