桜桃忌と大連のサクランボ

現在、仕事で大連に来ています。大連は、今ちょうどサクランボの季節。路上には、いたるところに深紅のサクランボを満載した屋台が並び、天秤棒をかついだ売り子が行き交います。

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大連駅の東西をつなぐ地下通路周辺では、拡声器を使った激しい客引き合戦が繰り広げられ、多くの客がサクランボに群がっています。こちらのサクランボは、日本で普通に見られる品種よりも、やや色が濃い印象です。売値はサイズによって若干異なりますが、だいたい一斤(500g)で4~6元(約50~80円)くらいが相場のようです。

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看板には「桜桃」の文字が見えます。そう言えば、6月19日は桜桃忌、太宰の命日(正確には、6月13日に入水した太宰の遺体が発見された日)でした。昨年は土曜日でしたので、三鷹の禅林寺のお墓にお参りすることができました。
http://ikezawa.at.webry.info/201007/article_2.html

さて、太宰と大連、直接の関連はありませんが、同棲していた内縁の妻、小山初代は太宰と別れた後に満州に渡っており、当時の日本人にとって大連は馴染みのある土地でした。太宰が青森の料亭で初めて小山初代に出会ったのは1927年(昭和2年)年9月、当時太宰は旧制弘前高等学校の1年生で18歳、初代はわずか15歳でした。太宰は上京後、初代を東京に呼び寄せ、同棲生活を送ります。実家である津島家からは入籍に反対され、結局は内縁の妻という形が続きました。1936年(昭和11年)、薬物中毒の治療で太宰が入院していた時、初代は姦通を犯し、これを知った太宰は初代とともに谷川温泉でカルモチンによる自殺を図ります(これは未遂に終わっています)。結局、初代は1937(昭和12年)年6月に正式に太宰と離別することになります。

太宰と別れた初代は、その後北海道に渡り、また大連、青島を遍歴、1944年(昭和19年)7月23日、青島で亡くなっています。享年わずか33歳でした。彼女の死は1945年(昭和20年)4月10日に、井伏鱒二から太宰に伝えられたといいます。この時、太宰は井伏の勧めで結婚した石原美知子との間に二人の子供をもうけていました。どのような気持ちでこの知らせを聞いたのでしょうか。

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70年ほど前に初代が訪れた大連でも、6月になれば今と同じように街中に桜桃があふれていたことでしょう。今年は禅林寺には行けませんでしたが、ちょっと違った形で桜桃を眺めながら、太宰と初代に想いを馳せる桜桃忌となりました。

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