フロベールと『ボヴァリー夫人』

先日のプルーストに引き続き、切手になったフランスの作家をもう一人紹介しましょう。ギュスターヴ・フロベール(Gustave Flaubert, 1821-1880)です。

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フロベールはルーアンの病院の外科部長の息子として生まれました。当時のルーアンは、人口十万ほどの豊かな工業都市で、学士院や博物館、学校、教会や工場などが並び、セーヌ川河畔の港湾には多国籍の船が集積する文化の中心地でした。切手には、フロベールが生まれ育ったこのルーアン(ROUEN)の初日印が押されています。切手の発行は1952年10月18日、6種類の著名人切手の一枚として発行されました。

代表作『ボヴァリー夫人』は、医師シャルル・ボヴァリーの妻になったものの、単調な結婚生活に幻滅を感じ次第に不倫の恋に堕ちてゆく女性エンマの物語です。実はこの話にはモデルがあります。故郷ルーアンの近くに住んでいた田舎医者の若い後家が単調な暮らしから抜け出そうと何度か姦通を犯し、ついには自殺してしまうという、ド・ラマール事件がその題材です。

フロベールはこの作品で主人公に命を吹き込むことに没頭、主人公のエンマと一体化するあまり、ある人に「ボヴァリー夫人は私だ」と語ったといいます。興奮やめまい、不安といったヒロインの精神状態は、フロベール自身が味わっていたものだったのかもしれません。一方で、感覚をおさえた慎重な言葉遣いも忘れることなく、「冷静に書かなくてはいけません」「心で書くのではなく、頭で書くのです」とも言っています。

『ボヴァリー夫人』は、1856年、『パリ評論』に6回にわたって連載されることになりました。しかし、この雑誌の経営者は、その過激な内容から当局の検閲を恐れ、フロベールに部分的な削除を申し入れ、掲載は一時決裂してしまいます。なんとか連載は開始されましたが、多くの削除がフロベールに無断で行なわれるなど、いわくつきの形で世に送り出されました。

しかし、発表が終わると、フロベールは公序良俗に反し、宗教を冒涜する作品を世に出したという理由から起訴されてしまいます。1857年1月にパリ裁判所の軽罪裁判所第六法廷に出頭したのは、フロベール本人と印刷業者、『パリ評論』の発行者。弁護士は、問題箇所が宗教の手引きである『典礼書』のラテン語の文章をフランス語に移したものであることなどを証明し、結局、無罪放免となりました。

その後、単行本として店頭に並んだ『ボヴァリー夫人』は、訴訟スキャンダルの影響で売れ行きは大変良かったといいます。

上にあげた切手と消印は、初日カバー(FDC)の一部です。初日カバー全体の画像をごらんください。

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左側には、フロベールの肖像とともに、ベンチに腰掛けて意味ありげにうつむく、『ボヴァリー夫人』に登場するエンマらしき女性のイラストが描かれています。

このFDC、右下にアメリカ宛ての住所がタイプされており、実逓のカバーであることがわかります。裏を返すと、当時一般に利用されていた普通切手「ガンドンのマリアンヌ」シリーズの15フラン1枚、3.5フラン2枚の合計22フランが貼り足されており、当時のフランスからアメリカ宛ての料金は、表のフローベール切手の8フランとあわせて30フランであったことがわかります。

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【参考文献】アンリ・トロワイヤ著 市川裕美子・土屋良二訳 『フロベール伝』(水声社)

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