文士が愛した鵠沼の東屋旅館(1)

先日の海の日に、ふと思い立って、鵠沼の東屋旅館跡を訪ねました。

旅館「東屋」は、明治25年ごろに創業、明治後期から昭和初期にかけて、尾崎紅葉の硯友社の文人をはじめ芥川龍之介、志賀直哉、武者小路実篤など多くの作家が逗留しました。戦時色が強まる昭和14年に旅館は営業をやめてしまいましたが、現在は跡地に碑が建っています。

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高三啓輔著の『鵠沼・東屋旅館物語』(博文館新社)を読んだのは10年ほど前でしょうか。かつて作家が集った高名な旅館が自宅からそう遠くない場所にあったことに興味を覚え、跡地は何度か訪れていますが、今回改めて一帯を散策してみました。

最寄り駅は小田急線の鵠沼海岸駅。改札を抜けて駅前の商店街「マリンロード鵠沼」を左に進むと、二本目の交差点に行き先表示の標識があります。

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上の写真の左手に見える公衆電話のそば、青い自動販売機の手前に標識が見えます。「文人が逗留した旅館「東屋」の跡 記念碑と説明板があります」と書かれていますが、注意して見ないと通りすごしてしまいそうです。

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この交差点を右に曲がり、70メートルほど進んだところが東屋旅館の跡地です。敷地の角に記念碑と解説板が建っています。かつては記念碑の右手に旅館の正門がありました。今は個人の住宅となっており、その面影はありません。海岸まで広がる旅館の敷地は、2万平方メートルもあったと言います。敷地内には松林や池が配され、本館の他に離れが点在していました。

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碑には、「文士が逗留した東屋の跡」と刻まれています。

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かつて東屋があったという敷地に沿って、ぐるりと一周してみました。道端の木々を通して、夏の日差しが容赦なく照りつけます。

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今は一帯が住宅地になっており、かつてここに広大な池や旅館の離れが点在していたことを想像するのは難しいのですが、唯一変わらないのは海が目と鼻の先に広がっていること。文士たちも、執筆や構想を練る合間に波打ち際の散歩に出かけたことでしょう。私が訪れた海の日(7月18日)にも、照りつける日差しのもと海水浴客やサーファーが行き交い、鵠沼という土地が海とともにあるということを実感しました。

さて、東屋の碑とちょうど敷地の反対側に当たる場所に、以前訪問した時にはなかった「あるもの」を見つけましたので、次回紹介したいと思います。

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