満鉄本社いまむかし

大連には、かつて満鉄(南満州鉄道株式会社)の本社がありました。その写真をアレンジした絵はがきを紹介しましょう。

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キャプションには、「満鐵王國の総本山、大連南満州鉄道株式会社」とあります。ギリシア神殿を思わせる重厚な石造りの建物が二つ、並んでいるのが見えます。本社の建物を上から見ると、両脇が飛び出した凹型の形状になっており、この写真で写っているのは通りに面したその両翼部分ということになります。

路上には人力車が点在し、路面電車が走っているのが見えます。路面電車の架線を支えるのはセンターポール式の支柱。路面中央に立てたポールの両側に架線を吊り下げる方式であることがよくわかります。よく見ると、支柱には「カバンなら○○時計」という広告が見えます。ぼやけていてよく見えませんが、○○は「筒井」でしょうか。

さて、現在でもこの満鉄本社だった建物は残されているというので、実際に現地を訪問してきました。大連市内の中山広場から魯迅路を歩くこと5分ほどで右手に樹木が茂った一角が見えてきます。下は、絵はがきとほぼ同じ角度から眺めた写真です。

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現在、魯迅路には路面電車の軌道はなく、片側3車線、合計6車線の広い道路になっており、頻繁に車が行き交っていました。せっかくですので、持参した絵はがきを、同じ角度で並べて記念撮影。

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さて、本社の建物を見て行きましょう。

魯迅路沿いの建物を見上げたところです。左右に別れた階段を上ったところに入り口があります。

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正面の標石には「大連鉄路办事処」とあります。中国鉄路局の大連支局として、現在も現役で活躍中です。

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上の標石の裏には、この建物の歴史が中国語で刻んでありました。

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解説には、「この建物は、大連鉄道責任有限公司の建物で、建物の総面積は18,300平米。1903年帝政ロシアの時期に建てられた西側(中山広場に近い部分)が、南満州鉄道株式会社の本部となった。1909年、日本人の太田毅が新たに設計して中央部分と東部分を建て、現在の形になった。」とあります。どうやら建物は段階的に拡張して作られたようです。建築様式は「西洋古典風格的建築」とあります。

建物の中央部分入り口です。

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満鉄が設立されたのは1906年(明治39年)、当時は鉄道だけではなく、ホテルや港など大連の都市インフラ基盤の設立に大きな役割を果たした、半官半民の大会社でした。学校、病院、図書館の運営から消防、ゴミの収集まで行なっていたようですから、日本人の生活にはなくてはならない身近な会社でもあったようです。満鉄の本社は、創立時には東京にありましたが、1907年4月1日に大連に移転しています。移転当初は、旧ダーリニー市役所を本社屋として利用していました。その後、帝政ロシアによって建設中だった商業学校を改修して満鉄本社とし、さらに中央部分と東側が拡張されて現在の形になったという経緯があります。

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右側の看板には、「中国人民解放軍 駐瀋陽鉄路局 大連軍事代表」「瀋陽鉄路局 大連区域軍事運輸管理委員会」とあります。中国では鉄道と軍事が密接につながっているということを感じさせます。

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左側には「瀋陽鉄路局 大連車務段」の看板が見えます。看板の脇にある、果物とリボンをあしらったようなレリーフは、満州時代からあったものでしょうか。

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最初に建てられたという西側の建物部分を見上げたところです。

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満鉄時代にその大事業を仕切っていた往年の威容はまだ十分に感じられます。周囲では高層ビルがいくつも建設中でしたが、このような歴史的建築は、いつまでも大切に残して欲しいものです。

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