滝川の啄木歌碑

明治40年(1907年)12月、啄木は10月から勤めていた小樽日報を去ることになりました。その後、友人の斡旋でなんとか釧路新聞の記者として就職が決まり、単身、釧路へ発つことを決意します。
明治41年(1908年)1月19日、降りしきる雪の中、子供を背負った妻に見送られながら、啄木は単身釧路へ向かいました。この時詠んだ一首には、啄木が別れ際に見た妻の表情が詠み込まれています。
「子を負ひて 雪の吹き入る停車場に われ見送りし妻の眉かな」

さて、小樽を去った啄木は、札幌を過ぎ、その日は姉が住んでいた岩見沢に一泊しています。翌20日に岩見沢を出て砂川を過ぎ、この日は旭川の旅館に一泊、21日の朝6時30分に旭川を出発して釧路に向かっています。

ここで、滝川郵便局の風景印を紹介しましょう。滝川市は岩見沢と旭川の間に位置し、啄木も汽車で通過したところです。

画像


左手に、なにやら文学碑らしきものが描かれていますが、これは滝川公園にある啄木の歌碑です。この歌碑には、釧路に向かう啄木が車窓から眺めた景色を詠んだ歌「空知川雪に埋れて 鳥も見えず 岸辺の林に人ひとりゐき」が刻まれています。

岩見沢から旭川に向かう途中、汽車は空知川を渡ります。空知川は石狩川最大の支流で、富良野から流れ出て滝川で石狩川に合流しています。一月ともなれば川岸一帯は雪一色、針葉樹の林が風雪に耐えて岸辺に連なっている光景が広がっていたことでしょう。

その雪原に、たった一点、動く人影が見えます。猟をしているのか、旅をしているのか、ともかく孤独なその人影に、単身釧路に向かう啄木は己の運命を重ねたのかもしれません。

ところで、風景印にも描かれているように、滝川は大正時代に種羊場がつくられ、国策で多くの羊(メリノ種)が飼われていました。一次世界大戦時に羊毛の輸入ができなくなり、軍服の生地を確保するのがそもそもの目的だったということですが、現在滝川で飼われているのは食肉用のサフォーク種が中心です。北海道ではポピュラーな、玉葱やりんごの絞り汁、しょうゆなどに漬け込んだ味付けジンギスカンが生まれたのも、この滝川だと言われています。

私の故郷は北海道の江別というところですが、いわゆる人が集って鍋をつつく食事、というと、すき焼ではなくジンギスカンでした。ちょっとした屋外のイベントと言えば、バーベキューではなくジンギスカン大会が定番。小学校時代、授業参観の後に先生を交えて開いた懇親会は近所の野原でジンギスカンでした。地元の素材を生かして手軽に楽しめる家庭料理として、北海道民には忘れられない味の一つであることは間違いありません。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック