毛沢東と郵便

昨日、9月9日は毛沢東の命日でした。北京の中南海にある自宅で毛沢東が死去したのは1976年9月9日、満82歳でした。今日はそれに関連して、文化大革命時代に差し出された郵便を紹介しましょう。

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封筒の表面、左側に、何やら赤いラベルのようなものが印刷されています。

「一切革命隊伍人都要互相関心、互相愛護、互相幇助」というスローガンの左に「毛沢東」と署名があります。「すべての革命の隊伍(軍隊)は、みなお互いに関心を持ち、お互いを愛し、相互に助け合わなければならない」という毛沢東語録の一つですが、文革時代にはこのように一般にやりとりされる書簡にも、こうした毛語録が印刷され、多くの人の目に触れる形になっていたことがわかります。

封筒の裏を見てみましょう。

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左側に貼られているのは、北京の革命博物館をデザインした4分切手。1964年6月17日に発行されたものです。押されている消印の局名は「湖北恩施」でしょうか。日付は1967年11月20日と読めます。毛沢東が天安門広場で100万人の民衆を前に紅衛兵を激励したのが1966年8月、以降、全国で文革の狂乱が繰り広げられました。この書簡がやりとりされていた当時は文革のピークとも言える時期です。

面白いのは、封筒に描かれている楽譜。毛沢東語録をもとに作られた歌「我们都是来自五湖四海」(われわれはみな全国津々浦々からやってきた)の数字譜が、歌詞とともに印刷されています。数字譜は、1はド、2はレというように数字で音階を現し、アンダーラインで音の長さを現すもので、私が以前習っていた二胡もこの数字譜で演奏していました。封筒片手に歌を口ずさんでいた人がいたかどうかはわかりませんが、生活のあらゆるところに毛沢東が入り込んでいた時代背景を垣間見ることができる、興味深い書簡と言えるでしょう。

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