「芥川龍之介と久米正雄」展を見てきました

鎌倉文学館で開催中の「芥川龍之介と久米正雄」展を見てきました。

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芥川は1892(明治25)年3月1日、久米正雄は1891(明治24)年11月23日生まれなので同学年、学生時代から親交を結び、ともに漱石門下、そして二人とも鎌倉にゆかりのある作家です。今回の展示は、この二人の生涯を同時並行的に比較しながら概観できるような構成となっています。

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芥川は35歳で世を去りましたが、久米正雄は60歳まで生きています。しかし、芥川の全集はこれまで9回も編まれているのに、久米正雄はわずか3回。芥川の作品は多くの人に読み継がれている一方で、久米正雄については今その名を聞くこと自体、少なくなっているのは事実です。

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これまで久米正雄のまとまった展示というのは見たことがなかったため、今回の展示は非常に参考になりました。芥川の生き方を、久米正雄とのやり取りから多面的に見ることができる点でも、なかなか興味深い企画でした。

久米正雄の資料が、「こおりやま文学の森資料館」に多く収蔵されていることも、今回の展示品の所蔵元を見て初めて知りました。芥川の原稿や書簡などは、山梨県立文学館、神奈川近代文学館、日本近代文学間にそのほとんどが収蔵されているようです。

今回展示されていた直筆資料は多くが実物で、一見の価値はあります。漱石が、大正5年8月21日に、千葉県一宮に滞在していた二人に宛てて差し出した有名な長い書簡は残念ながらレプリカでしたが、長い巻紙に書かれた漱石自身の筆跡で、じっくり読むことができました。

そこには、こんなふうに書かれていました。

「あせっては不可(いけま)せん。
頭を悪くしては不可(いけま)せん。
根気づくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げることを知つてゐますが、火花の前には一瞬の記憶しか与へて呉れません。」

大正4年の11月、二人は初めて漱石のもとを訪れました。この時久米は24歳、芥川はわずか23歳の青年でした。大正5年の2月、二人は菊池寛らと第四次「新思潮」を刊行、ここに芥川は『鼻』を、久米は『父の死』を発表し、漱石にも新人作家として認められつつあった時期です。そんな二人に、焦ることはない、一発大きな仕事をして果てるのではなく、根気よく努力し続けなさい、とやさしいアドバイスをする漱石の言葉には重みがあります。

なんだか、日々競争社会で仕事に追われている我々にも響いてくる言葉です。

展示品の中に、芥川の身体検査証なるものがありました。明治43(1910)年5月7日とありますので、芥川が東京府立第三中学校を卒業した18歳の頃。

身長165.5センチというのは、当時としては長身の方だったとか。ちなみに体重は54キロ、胸囲は80センチとありました。写真でもわかるように、痩せ型ですね。久米は芥川の印象を「恐ろしく痩せて眼だけ尖ったような細長い青年」と書いています。

生身の作家の姿に触れることができる、このような興味深い資料に出会えるのが、文学展の楽しみの一つでもあります。

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