徳富蘆花が暮らした世田谷を訪ねて(2)蘆花旧宅と粕谷局風景印

前回に続き、蘆花恒春園の蘆花旧居を紹介しましょう。

徳富蘆花は、20代の頃からトルストイに心酔、明治39年にはロシアに赴いて実際にトルストイに会っています。別れに際して、トルストイは蘆花にこう尋ねたといいます。

「トクトミ、君は農業で生活することはできないかね」

この一言が、後の蘆花の人生を変えました。自然の中で農業生活を始めることを決意した蘆花は、ロシアから帰国するとすぐに土地探しを始めています。

蘆花の著書『みみずのたはごと』によると、「家を有つなら草葺の家、而して一反でも可、己が自由になる土地を有ちたい。」と常々思っていた蘆花は、いろいろ歩いた末に、「最後に見たのが粕谷の地所で、一反五畝余(約1500平方メートル)。小高く、一寸見晴らしがよかった。風に吹飛ばされぬようはりがねで白樫の木にしばりつけた土間共十五坪の汚ない草葺の家が附いて居る。」ということで、この家つきの土地を購入したということです。

蘆花は明治40年2月26日にこの「汚い草葺の家」を掃除し、翌27日に転居しました。蘆花が「家の前は樫の列一列からすぐ麦畑になって、家の後は小杉林から三角形のくぬぎ林になって居る。」と描写しているように、当時はのどかな畑や林が広がる一帯だったようです。

蘆花恒春園には、蘆花が暮らした建物がそのまま残されています。建物は大きく「母屋」「梅花書屋」「秋水書院」の三棟の茅葺家屋にわかれ、それぞれが渡り廊下でつながり行き来できるようになっています。

これが母屋です。この母屋、蘆花によると元々は「隣字の大工の有であった。其大工の妾とやらが子供と棲んで居た。」ということで、さまざまな人間ドラマを感じさせる建物です。

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この母屋の建物は、世田谷粕谷局の風景印にデザインされています。正面に聳え立つ樹木の形状も再現されています。ちなみに、切手はホトトギスをデザインした国土緑化切手(1988年5月20日発行)。蘆花の著作『不如帰(ほととぎす)』にちなんで使ってみました。

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風景印の右側にいる人物が、徳富蘆花です。おそらく、大正中期頃にこの自宅前で撮影された写真をもとにして描かれたのではないかと思われます。

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梅花書屋の内部です。この建物は、転居した翌々年の明治42年に建て増しされたものです。

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梅花書屋のガラス戸から外を見たところです。ガラス戸の桟の形状も凝ったつくりになっています。

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母屋に、かつて蘆花が暮らした頃の室内の写真が掲げられていました。

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もう一つ、母屋の向こうに「秋水書院」があります。間口奥行きとも五間の建物で、十畳二室と納戸、寝室からなっています。明治44年、幸徳秋水の大逆事件の際に建て増しされたものです。

ここには、長さ9尺、幅6尺の大きなテーブルがありましたが、これは蘆花が愛用していたものとのことです。

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公園の入口には、蘆花旧宅の標識が立っています。

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訪問したのは11月末、そろそろクリスマスシーズンということで、記念館の脇にはイルミネーションで飾られたツリーも。

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恒春園内には、蘆花夫妻の墓もあります。次回、紹介したいと思います。

参考文献:川本昭雄『蘆花恒春園』(郷学舎 東京公園文庫22 1981年)


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