岸田劉生の父が売っていた目薬

先日、明治時代に差し出された一枚のはがきを入手しました。消印は、東京の二重丸型印、明治13年4月13日と読めます。

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差出人は、「東京銀座二丁目 精錡水本舗 岸田吟香」とあります。

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岸田吟香(1833~1905)は、麗子像で有名な画家、岸田劉生の父です。日本における新聞発行の黎明期に登場した記者の一人であり、またローマ字で名高いヘボンの『和英語林集成』の編集に携わり、海運業、製氷販売や石油の採掘などにも手を染めた実業家でした。

ところで、この書簡にある「精錡水(せいきすい)」とは何でしょうか。

岡山に生まれた吟香は19歳の時に江戸に出て、儒者・昌谷(さかや)精渓の門に入り、学を修めましたが、1863年(文久3年)に眼病を患ってしまいます。吟香は、当時横浜の宣教師で眼科医でもあったヘボンの治療を受け、それまでどんな医者でも治らなかった眼病が治ったことから、ヘボンのもとで働くことになります。

吟香はヘボンから眼病の薬の製法を受け継ぎ、 1877年(明治10年)に『精錡水』の製造販売を開始しました。.これは日本で初めて作られた点眼薬と言われています。「精錡」とは、硫酸亜鉛をあらわす中国語です。点眼薬の主成分は硫酸亜鉛だったようです。

岸田劉生は、生家について以下のように書いています。

「御承知の方々も多いと思うが私の生家は目薬の精錡水の本舗であって、岸田の楽善堂というよりも精錡水といった方が通る位の店であった。父の道楽から店を半分に切って一方を薬房一方を書房とし、書房では支那の筆墨硯紙その他文房具風のものや、書籍などを売っていた。」

吟香は、なかなか多彩な実業家だったようです。

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  • プラダ トート

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