湘南文学散歩(2)北原白秋と『城ヶ島の雨』

前回に引き続き、切手の博物館で展示中の『湘南文学散歩』のマテリアルを紹介します。

詩人・北原白秋は明治43年(1910年)、25歳の時に初めて三浦を訪れました。隣家の人妻と姦通事件を起すのはその二年後。夫とは離婚したはずの人妻俊子が法的には離婚していなかったため、俊子の夫に訴えられてしまい、白秋と俊子は市ヶ谷未決監に二週間拘留されてしまいます。一時は死を覚悟した白秋ですが、大正2年4月、前夫と正式に別れた俊子は白秋と結婚し、新生を求めて一家は三崎へ移住しました。

この時、白秋一家が住んだのは、三崎町向ヶ崎にあった異人館でした。この時に詩を書き溜めたノート(三崎ノート)は、のちの『雲母(きらら)集』として大成することになります。

白秋が三崎に暮らしていた大正2年(1913年)、島村抱月が自身の主催する芸術座の音楽会で発表するオリジナル曲のために、白秋に作詞を依頼しました。このとき作られたのが、「城ヶ島の雨」です。


『城ヶ島の雨』

雨はふるふる 城ヶ島の磯に
利休鼠の 雨がふる

雨は真珠か 夜明けの霧か
それともわたしの 忍び泣き

舟はゆくゆく 通り矢のはなを
濡れて帆上げた ぬしの舟

ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる
唄は船頭さんの 心意気

雨はふるふる 日はうす曇る
舟はゆくゆく 帆がかすむ


この歌詞の冒頭を刻んだ碑が、三浦局の風景印に描かれています。

画像


この詩には、作詞後すぐに梁田貞によって曲がつけられ、1913年10月30日、東京有楽座にて梁田自身の独唱で発表されました。奥田良三が吹き込んだレコードが全国的にヒットすると、城ヶ島は全国にその名を知られることになりました。

風景印の碑には、はっきりと歌詞を読むことができます。文学碑を描いた風景印は、その碑の形などイメージを伝えているものがほとんどですが、ここまで文字をきっちりデザインしてくれると、文学風景印好きとしては嬉しくなります。

この歌碑は1949年、遊ヶ崎に建てられました。材質は根府川石。上が広がったような形状になっているのは、歌詞にも出てくる帆船の帆をイメージしたからとか。碑文には白秋直筆の草書が使われています。碑が建てられた当時、白秋はすでに亡くなっていましたが、除幕式には作曲者である梁田貞が出席したそうです。そばには白秋記念館があるというので、いずれ訪問したいと思っています。

風景印の局名(三崎)は、マグロの中に描かれています。出航する船はマグロ漁船でしょうか。今では三崎はマグロの町として有名ですね。

ところで、「利休鼠」とは緑がかった灰色。ちゃんと16進数でも定義されているので(#888E7E)このブログでも、歌詞の部分を「利休鼠」色で表現してみました(ちなみに、RGB定義は、R=136, G=142, B=126)

この歌には、どこか物悲しい響きが感じられますが、新しい生活を夢見て三崎にやってきた白秋が、決して安泰ではなかった自身の人生を振り返り、「忍び泣き」ながら作っていたのかもしれません。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック