山田耕筰と茅ヶ崎(1)「赤とんぼ」の碑序幕

先月20日、茅ヶ崎中央公園に新たに設置された童謡「赤とんぼ」の碑が序幕されました。(タウンニュース茅ヶ崎版

これは、「赤とんぼ」を作曲した山田耕筰が茅ヶ崎に住んでいたことにちなんで建てられたものです。自宅からも比較的近いので、早速、現地を訪問しました。

碑は茅ヶ崎中央公園の入口を入ってすぐ脇の目立つ場所に設置されていました。

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はめ込まれている碑文のサイズに対して、全体がかなり大きな形状となっています。碑の外観はオルガンの形を模してデザインしたものだそうです。下に二つ並んでいる板は、オルガンのペダルということでしょうか。

「赤とんぼ」は三木露風が作詞した童謡で、1921年(大正10年)に童謡雑誌「樫の実」に発表されました。露風は兵庫県揖西(いつさい)郡龍野町(現在の龍野市)に生まれていますが、この童謡は露風が兵庫で暮らした幼年時代、特に、六歳のときに母が家を出ていった、自身の悲痛な思い出を背景につくられたものと言われています。


 夕焼、小焼の、
 あかとんぼ、
 負われて見たのは、
 いつの日か

 山の畑の、
 桑の実を、
 小篭につんだは、
 まぼろしか。


この童謡に山田耕筰が曲をつけたのは、詩が発表されてから6年後、1927年(昭和2年)のことでした。当時、山田耕筰は失意のどん底にありました。

1886年(明治19年)6月9日に東京に生まれた山田耕筰は、幼少の頃から西洋音楽の手ほどきをうけ、ベルリン留学時代の1912年(大正元年)には日本人として初めて交響曲を作曲しています。東京フィルハーモニーの管弦楽部首席指揮者を務め、米カーネギーホールで演奏会を成功させ、帝国劇場でワーグナーの「タンホイザー」を日本で初めて演奏するなど、西洋音楽の普及と音楽文化の発展のために活躍していた耕筰ですが、1926年、近衛秀麿と編成した日本交響楽協会が分裂し、団員のほとんどが近衛について新交響楽団を結成してしまいました。原因は協会の不明朗な会計に対する不満であったとも言われていますが、耕筰のもとに残ったのはわずか5人だけでした。耕筰は1926年、40歳の時に家族と共に東京から茅ヶ崎に移り住みました。

茅ヶ崎から東京に通っていた耕筰は、淋しい気持ちをまぎらせるため、当時新潮社から出版されていた「童謡詩人叢書」をポケットに入れ、東海道線の車中で読むのを常としていました。そして、曲想が湧いてくると本の余白にメロディーを書きつけていたのです。そのようにして生まれた作品の中に、北原白秋や野口雨情の童謡とともに、三木露風の「赤とんぼ」がありました。耕筰がこのようにして作曲した作品は、1927年4月に『童謡百曲集』として出版されました。

仲間を失い、失意に暮れていた耕筰が、作曲への情熱を奮い立たせて作った「赤とんぼ」。哀愁ただようメロディー誕生の経緯に触れると、この曲がまた深みをもって胸に響いてくるような気がします。

さて、新しくできた碑を詳細に見ていきましょう。

碑が建っているエリアには円形に煉瓦が敷き詰められ、空間全体が赤とんぼをイメージしたオレンジ色で演出されています。

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碑にはめ込まれたタイルの模様は、遠目には単なる幾何学パターンですが、良く見ると一枚一枚にトンボがデザインされ、方向を変えて配置されていることが分かります。

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碑文には、耕筰の似顔絵と楽譜がアレンジされています。

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楽譜は、耕筰の直筆をそのまま写し取ってつくられたもののようです。

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楽譜の左に配された似顔絵も、恐らく耕筰自身の手になる自画像でしょう。ただ、ここはもっと写実的な写真やレリーフでも良かったのでは、という気もします。

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碑の右手には、解説が独立して立っています。譜面台をイメージしたものでしょうか。

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碑の背面にまわってみましょう。二つの金属板がはめ込まれています。

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右側の板には、この碑の建立プロジェクトの参画メンバが記されています。

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総合デザインは、文教大学湘南総合研究所、タイル焼成はTOTO株式会社、チタン加工(碑文はチタンを加工して作ったのですね)はトーホーテック、といった法人名が見えます。そして、左下にはしっかり、日本音楽著作権協会の許諾番号が記載されています。著作権のある歌の歌詞を碑にする場合は、このように許諾が必要なのですね。

左側の板には、協賛したロータリークラブなどの団体や個人名がずらり。総勢758名とあります。

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この碑を訪問したのは、完成してから四日目の3月24日でした。もの珍しいのか、通りすがりの市民たちも思わず足をとめて、碑文をじっくり眺めていました。今回、二台のデジカメで撮影したのですが、できるだけ誰もいないタイミングを見計らってシャッターを押したので、見学者が途絶えるのを待つ時間を含めて、撮影には思いのほか時間がかかってしまいました。

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訪問当日、空模様は決して良くありませんでしたが、公園内にはところどころに梅が咲き、そこだけぽっかり陽が射したようでした。現在では、すでに桜も散ってしまっていることでしょう。

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さて、「赤とんぼ」を作曲した時の心境を、耕筰は『童謡百曲集』の解説に、次のように記しています。

「闘争の渦を逃れて松翠香る茅ヶ崎の砂丘に愛児らと心ゆくまで遊び戯るゝとき月夜遠浪の音に聴きほれて茅屋のヴェランダに仰臥するとき煩忙な、あまりにも煩忙な公的生活によって阻まれてゐた私の創作意は私の過去の生活に於いてかつて味解し得なかった清澄な心境と静寂の聖座にぬかづく心とに促されて、生々として萌え出づるのでありました。晴朗な湘南茅ヶ崎の大気、その晴朗な大気と愛児らの素純。それこそは私の胸底に徒らなる永き眠りを強ゐられてゐた「歌」に朗らかな暁の光を点じたのであります。  南湖の居にて」

ここに出てくる「南湖の居」はいったいどこにあったのでしょうか。気になって、探してみました。その場所を、別の機会に茅ヶ崎を再訪し、特定することができましたので、次回紹介したいと思います。

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