窪田空穂と豊橋歩兵第十八聯隊

前回のブログで、荻原井泉水の書簡の宛先が、歌人・窪田空穂の出身小学校であるという話題に触れましたが、その窪田空穂の書簡も所有していますので、紹介したいと思います。

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窪田空穂(くぼた うつぼ)は、1877年(明治10年)に長野県東筑摩郡和田村に生まれました(先日のブログでも触れたとおり、和田村は松本市に合併され、現在は松本市和田となっています)。本名は窪田通治。封筒の裏面にも、本名が印刷されています。住所は「東京市小石川区雑司ケ谷町八十八番地」とあります。雑司が谷といえば今は文京区ですが当時は小石川区でした。文京区は、1947年(昭和22年)に小石川区と本郷区が合併して新設された区です。

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消印の局名は不鮮明で読み取れませんが、年号は昭和2年5月31日でしょう。封筒の裏面に、手紙を差し出した5月30日という日付が見えます。裏面には、「大正」という年号も印刷されていますがペンで消した跡が見られます。本名で頻繁に手紙を出す必要性があったことから、大正という年号まで裏面に印刷した封筒を大量に用意していたものと思われます。大正が昭和に変ったのは12月25日(ちなみに1926年の12月25日は大正15年であり昭和元年でもある微妙な一日です)。昭和2年5月といえば、年号が昭和になってからまだ半年ですので、大正という元号がまだあちこちに残っていた時期だということが、この書簡からも伺えます。

あて先は、「豊橋歩兵第十八聯隊 第一中隊志願兵 笹野堅」となっています。能や狂言に関する本を出していた人物に笹野堅という方がいるようですので、歌人としての窪田空穂と芸能面でのつながりがあったその方が相手かと思われます。笹野氏は1901年生まれですので、昭和2年当時は26歳、大学を出てから志願兵になったのでしょうか。第十八聯隊は満州や南京、最後はサイパン島やグアムにも進駐していますが、笹野堅氏は戦後も書籍を出版し1961年までご存命だったようですので、戦争は無事生き延びられたのでしょう。(ただし、同姓同名の別人である可能性もあります)。

実はこの書簡を購入した際に中身も入っていましたので、次回紹介したいと思います。

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