徳富蘆花の墓をデザインした風景印

以前、世田谷の芦花公園にある徳富蘆花の墓を訪問し、このブログでも紹介しましたが、その墓をデザインした風景印を押印してきましたので紹介いたします。

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これは小田急成城学園前駅から徒歩で20分ほどの場所にある成城郵便局の風景印です。

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風景印の上部に描かれているのは成城学園前通りのイチョウ並木です。押印で訪れたのは昨年11月24日、当日は秋晴れで、モデルとなった並木のイチョウも黄色く色づき青空に映えていましたが、成城学園に向かって右側の並木の枝は刈り取られていました。

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風景印右下の建物は、蘆花恒春園にある徳富蘆花の旧宅です。蘆花の旧宅は、母屋と梅花書屋(表書院)、秋水書院(奥書院)の三棟が残されていますが、風景印に描かれているのは、そのうちの秋水書院です。
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秋水書院を2011年11月に訪問した際に撮影した写真があるので、ここにあげておきます。風景印では、屋根や庇の形状、柱の数なども比較的忠実にデザインされていることがわかります。


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この建物は徳富蘆花が烏山にあった古い建物を買い取って自宅敷地に移築し、明治44年(1911)年に立て直したものです。では、なぜ秋水書院と呼ばれているのでしょうか。

この建物の上棟式は明治44年1月24日でした。実は、この日は偶然にも大逆事件の犯人とされた幸徳秋水以下12名の死刑が執行された日だったのです。

蘆花は大逆事件が冤罪であると信じており、秋水らの死刑判決を知ると兄である徳富蘇峰と桂総理に宛てて判決の見直しを申し述べる手紙をしたためています。奥書院が同年春に完成した際、蘆花は政府に対する抗議の気持ちを表すためにこの建物を「秋水書院」と名付けたと言われています。

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風景印の左下に描かれているのが、蘆花夫妻の墓です。現在も、蘆花公園の蘆花旧宅のそばにひっそりと立っています。墓石には、蘆花の兄徳富蘇峰の筆跡で「徳富蘆花夫妻之墓」と刻まれています。描かれた墓石には8文字書かれているように判別できますが、これは実際に刻まれている文字数とも合致します。
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この墓も、2011年11月に訪問しましたので、写真を載せておきます。墓石の前にあるくぼみのある石も、風景印には忠実に描かれています。

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夫婦の墓ではありますが、二人が同時に亡くなったわけではありません。

徳富蘆花は昭和2年(1927)9月18日夜半、療養先の伊香保で息をひきとりました。墓碑は昭和9年の秋に建てられましたが、このときまだ愛子夫人は健在でした。死んだときは一緒に埋葬されることを望んで「夫妻」の墓としたのでしょう。愛子夫人が亡くなったのは昭和22年2月、蘆花に寄り添うように埋葬されました。

墓の前には二人の墓碑銘を記した解説板が立っていました。

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小さな風景印の中にも様々な人間ドラマを探ることができ、興味はつきません。

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