北原白秋と平塚音頭~風景印に描かれた碑の形状の謎

先日、平塚富士見局の風景印を押印してきましたので紹介します。

風景印の図案は、東海道五十三次の「平塚」をそのまま取り込んだもので、広重のサインや落款なども正確にデザインに反映されています。五十三次の「平塚」をとりあげた2004年の国際文通週間の90円切手に押印してみましたので、切手と比較するとよくわかるかと思います。
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丸い形をした山は、デォルメされていますが実際に平塚市と大磯町の間にそびえる高麗山を描いたものです。その右側に小さく富士山が顔をのぞかせています。郵便局の前からは富士山は望めませんでしたが、周囲に建物がない時代は、地名からわかるようにこの一帯は富士山がよく見える場所だったのではないかと思われます。

せっかくなので、10年ほど前に発行された平塚市制70周年記念のエコーはがきにも押印してもらいました。
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ところで、この風景印の上部には、何やら碑のようなものが描かれています。これは北原白秋の歌碑とのことです。ネットで調べると、郵便局のすぐそばの平塚共済病院の敷地内に、それらしい碑があるということなので探してみました。

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交番脇の病院入口から入ってすぐのロータリー内に大きな樹木があり、その根元に二つの碑が見えました。
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左手が白鷺塚、右手が白秋歌碑です。

昔から、相模川沿岸には白鷺が多く飛び交っていました。大正8年(1919年)頃からは、現在の横浜ゴムと総合公園の敷地にあった海軍火薬廠内の松林に多数の白鷺が棲みついていたと言います。

昭和13年(1938年)の夏、台風で松の木に止まっていた白鷺の多くが吹き落とされ命を落としました。廠内の人々がその場所に鷺塚を建てて鷺を葬りました。昭和34年(1959年)春、追分商店街の人々がその塚の移設を企画し、新たに建立したのが現在の「白鷺塚」ということです。それに並べて北原白秋作詞の歌碑を建てたのもこの時のようです。風景印にも、碑の左に白鷺が描かれています。

まず、白鷺塚から見ていきましょう。「白鷺塚」の文字は白く塗られています。
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側面からみるとこんな感じです。
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背面には、「平塚市長 戸川貞雄」と刻まれています。戸川貞雄は、この碑が建立された年、昭和34年に就任した平塚市の第7・8代目市長です。
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右手にあるのが、目的の白秋歌碑でした。

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碑文には「白鷺の 白鷺の 飛べば夕日の高麗寺 月になるやら 風じゃやら」とあります。「北原白秋」という署名もはっきり刻まれています。これは、白秋が作詞した「平塚音頭」の一節です。昭和4年の春、白秋は平塚新宿耽二業組合に招かれ、料亭武蔵野に滞在した際にこの「平塚音頭」を作詞しました。この詩に町田嘉章が曲をつけ完成した平塚音頭は、現在でも平塚七夕祭りなどで披露されています。

碑の裏面はこんな感じです。「追分共学会 白鷺塚建設委員」として、8名の氏名が刻まれていました。「昭和三十四年己亥歳四月建」という文字も見えます。
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もう一度風景印を眺めてみましょう。描かれている石碑に三行の文字が見える点は実際の歌碑とほぼ同じと見てよいかと思いますが、風景印では幾何学的な立方体で描かれており、形状が実際の碑とは明らかに違います。

五十三次の描写再現が精密なだけに、ちょっと残念ですが、これも実際に現地を訪問しないとわからないですね。

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