盛岡高等農林の絵はがき~宮澤賢治の命日にちなんで

本日、9月21日は宮澤賢治の命日です。昭和8(1933)年9月21日、宮澤賢治は37歳でこの世を去りました。それにちなんで、今日は賢治が通っていた盛岡高等農林学校の絵はがきを紹介しましょう。

これまでも、明治37年の手紙自啓寮の絵はがき校舎と自啓寮の絵はがきなどを紹介してきました。今回新たに紹介するのも、寄宿舎で生活していた学生の絵はがきです。

画像


宛先は「愛知県碧海郡新川町 岡本小治郎殿」とあります。差出人は「盛岡高農寄宿舎内 岡本恪郎」、苗字が同じなので、下宿先から親元に宛てて差し出したものと推測されます。消印は明治44年7月16日の盛岡局、宛名欄の下に「盛岡田口商店発行」とあります。田口商店は田口忠太郎氏が盛岡で営んでいた写真館で、盛岡を題材にした絵葉書を多数発行しており、これもその一枚です。

さて、絵葉書の裏面を見てみましょう。
画像

キャプションには、「盛岡高等農林学校東側」とあり、校舎の背景には岩手山の威容がくっきりと浮かび上がっています。はがき上部には「心地よく続く日和や稲の花」「先生に一本に動く学生帽」という句がしたためられています。周囲にものどかな光景が広がり、明治期のキャンパスの一端を垣間見ることができます。

差出人の岡本氏、詳細は不明ですが、明治44年当時寄宿舎に在籍していたということは、大正4年に盛岡高等農林の学生となった賢治とは5歳前後差があり、すれ違いだったものと思われます。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック