テーマ:書簡

斎藤茂吉が長崎から差し出したはがき

先日、神奈川県立近代文学館で観覧した茂吉展では茂吉が長崎から差し出した書簡が何点か展示されていましたが、私も茂吉の長崎時代の葉書を一通所有していますので、紹介したいと思います。 茂吉は大正6年(1917年)、それまで勤めていた東京府巣鴨病院を辞し、東京帝国大学医科大学助手の肩書きも捨てて、12月に単身長崎に赴任します。長崎医学専門…
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斎藤茂吉展を見てきました

神奈川近代文学館で開催中の「茂吉再生 -生誕130年記念斎藤茂吉展-」を見てきました。 私のコレクションにも、茂吉の書簡が何通かあります。3年前(2009年)のスタンプショウでは、それらの直筆書簡や関連資料をまとめて『斎藤茂吉の生涯』として審査員出品し、その際に茂吉の資料は種々集めたのですが、実は山形の茂吉記念館は訪れたことはなく…
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窪田空穂の書簡を読み解く

前回のブログで紹介した窪田空穂の書簡には、便箋3枚からなる本文が残されていました。かなり癖のある筆跡なので解読には苦労しましたがおおよその内容がつかめましたので紹介したいと思います。なお、この書簡が書かれたのは、書簡の日付から昭和2年5月30日と思われます。 まず一枚目です。 「御手紙拝見。旅行の折には案外いゝ事になるか…
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窪田空穂と豊橋歩兵第十八聯隊

前回のブログで、荻原井泉水の書簡の宛先が、歌人・窪田空穂の出身小学校であるという話題に触れましたが、その窪田空穂の書簡も所有していますので、紹介したいと思います。 窪田空穂(くぼた うつぼ)は、1877年(明治10年)に長野県東筑摩郡和田村に生まれました(先日のブログでも触れたとおり、和田村は松本市に合併され、現在は松本市…
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荻原井泉水の書簡

自由律俳句といえば種田山頭火や尾崎放哉といった名前がすぐ浮かびますが、今回は彼らの師である荻原井泉水(おぎわら せいせんすい)の書簡を紹介しましょう。 自由律俳句をはじめて提唱したのは、正岡子規の同郷の友人でもあった河東碧梧桐と言われています。碧梧桐は五七五の定型にとらわれない句作を試みるようになり、碧梧桐門下の荻原井泉水はさらに…
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岸田劉生の父が売っていた目薬

先日、明治時代に差し出された一枚のはがきを入手しました。消印は、東京の二重丸型印、明治13年4月13日と読めます。 差出人は、「東京銀座二丁目 精錡水本舗 岸田吟香」とあります。 岸田吟香(1833~1905)は、麗子像で有名な画家、岸田劉生の父です。日本における新聞発行の黎明期に登場した記者の一人であり、ま…
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林芙美子展を見てきました(1)郵便局でのフランス語会話

先日の体育の日に、神奈川近代文学館で開催中の「没後六十年記念展 いま輝く林芙美子」展を見てきました。 祝日にもかかわらず非常に空いていて、ゆっくりと展示を見ることができました。 芙美子は1931(昭和6)年、単身フランスに渡り数ヶ月パリで生活していましたが、その時使っていた手帳(フランス語練習帳)が展示されていました…
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「金子みすゞ展」での発見(1)

そごう横浜店のそごう美術館で開催中の「金子みすゞ展」を見てきました。 1930年に26歳の若さで自ら命を絶った金子みすゞ。生前は多くの詩を童謡雑誌に投稿し、詩人・西條八十にも注目されていましたが、没後はその名が世に出ることはほとんどありませんでした。みすゞが残した詩は512編、その多くが生前未発表のものです。50余年にわた…
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「遠藤周作展」を見てきました

神奈川近代文学館で開催中の「没後15年 遠藤周作展」を見てきました。 JR石川町の駅前にもポスターが掲示されていました。 遠藤周作の作品自体は、実はあまり読んだことがないのですが、今回の展示では交流のあった作家とやりとりした直筆書簡が比較的多く展示されており、興味深く参観しました。展示品の書簡の中から、いくつ…
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