漱石の結婚記念日

去る6月9日は、漱石の結婚記念日でした。明治28年12月、漱石は貴族院書記官長中根重一の娘、中根鏡子とお見合いをします。当時松山に赴任していた漱石は、お見合いのために一時上京しました。結婚を期に東京に戻る心積もりもあったのかもしれませんが、翌年4月には、さらに遠い熊本に赴くことになりました。

東京に戻るどころか、かえって遠くに移ってしまった漱石。鏡子との結婚については、気が進まなければ破談にしてやっても良い、などと考えたという話も伝わっています。

結局、明治29年6月8日、鏡子が熊本にやってきて、翌9日に、熊本市下通町の自宅で結婚式をあげました。列席したのは、新婦の父親、東京から連れてきた婆や、車夫などの総勢六名という、ささやかな結婚式だったといいます。

そのときに漱石が詠んだ俳句が残っています。
曰く、「衣替へて京より嫁を貰ひけり」。

京、といえば京都を指すのが普通ですが、ここでは東京のこと。「都」という意味で使ったのでしょう。

6月といえば、今も昔も衣替えの季節でした。昨今でも、6月から学生の制服が夏服になり、クールビズが始まるところが多いのではないでしょうか。クールビスの習慣がすっかり定着し、スーツの上着を脱ぎ、ネクタイをはずして堂々と歩けるようになったのは、サラリーマンにとってありがたいことですが、そういった季節の変わりめを人生の転機に重ね合わせて詠んだ句、ということでしょうか。

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切手は、平成19年8月1日に発行されたふるさと切手「熊本城築城400年祭」から。5種で一セットですが、これはその中の一枚です。この熊本城の近くの内坪井町に、漱石が住んだ家が今も残っており、内坪井旧居として公開されています。

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上は、その内坪井旧居を2007年2月に訪問した際の入場券です。漱石は熊本で六回も引っ越していますが、この家は五回目に住んだ家で、住んだ期間も一番長かったとか。長女筆子が生まれたのもこの家でした。

敷地はかなり広く、庭には筆子の産湯を使ったという井戸が残されています。井戸の脇には、筆子の誕生時に漱石が詠んだ「安々と海鼠(なまこ)の如き子を生めり」という一句を刻んだ句碑も建っています。

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熊本で新婚生活を始めた漱石。当時はまだ小説は書いておらず、俳人として知られていました。もっとも句作に熱中したのが、松山時代から熊本時代にかけての5年間。生涯に残した俳句は2500を越えるそうです。

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