太宰のフレーム切手

昨年(2009年)は太宰の生誕百年を記念して、出版や映画などさまざまなメディアで太宰がとりあげられました。一般の切手のデザインには選ばれませんでしたが、フレーム切手が発行されていますので紹介したいと思います。

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シートの上部にデザインされているのは、太宰の肖像と夕暮れの龍飛崎、太宰の生家「斜陽館」。生家(旧津島家住宅)は、太宰治記念館として一般公開されています。

ここで使われている肖像は、明治21年、太宰が青森の金木に疎開していた時に、芦野公園で撮影された写真をアレンジしたものと思われます。

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切手部分には、10種類の太宰ゆかりの場所がとりあげられています。

まず、左上は、太宰治記念館「斜陽館」。五所川原市金木町にある旧津島家住宅です。太宰治の父・源右衛門によって建てられた豪邸で、明治40年に完成しました。津軽のヒバをふんだんに使った和洋折衷のこの。建物は、平成16年12月10日に国の重要文化財に指定されています。

その右は、津軽半島の突端に立つ龍飛崎灯台。場所は東津軽郡外ケ浜町三厩です。1932年7月1日に初めて点灯したといいますから、太宰の生前から存在していたことになります。日本の灯台50選にも選ばれています。

その右は、芦野公園の太宰治文学碑。芦野公園は、太宰が幼い頃によく遊んだところでもあります。昭和40年に建立されたこの文学碑は、ラフェナールに黒で炎を現し、その中に「不死鳥」が金メッキで浮き彫りにされています。
この文学碑は、金木郵便局の風景印にも描かれており、以前このブログでも紹介しました。

http://ikezawa.at.webry.info/200909/article_1.html

その右は、龍飛岬観光案内所。もとは、太宰が龍飛を訪れたときに宿泊した旅館(奥谷旅館)でした。

上段一番右は、北津軽郡中泊郡小泊の小泊小学校にある、小説「津軽」の像。太宰が故郷、小泊小学校の運動会で、子守のたけと30年ぶりに再会する場面を再現して作られたものです。

「平和とは、こんな気持ちのことを言うのであろうか。・・・しばらく経ってたけは、まっすぐ運動会を見ながら、肩に波を打たせて深い長い溜息をもらした。たけも平気ではないのだな、と私にはその時はじめてわかった。でも、やはり黙っていた。」(『津軽』)


下段に移って、一番左は龍飛崎の先端部にある太宰治文学碑。

「ここは、本州の袋小路だ。読者も銘肌せよ。諸君が北に向かって歩いているとき、その路をどこまでも、さかのぼり、さかのぼり行けば、必ずこの外ヶ浜街道に到り、路がいよいよ狭くなり、さらにさかのぼれば、すぽりとこの鶏小舎に似た不思議な世界に落ち込み、そこにおいて諸君の路は全く尽きるのである。」という『津軽』の一節が刻まれています。

その右は、喫茶店「駅舎」。これは芦野公園駅の旧駅舎です。小説『津軽』にも登場します。

その右は、津軽国定公園の龍飛崎。竜泊ラインと呼ばれる国道339号線と陸奥湾を見渡せる国道280号線が交わり、津軽半島が一周できます。

その右が、太宰治疎開の家。太宰の兄・文治夫婦のために建てられた離れで、疎開時代に太宰一家がここで生活して今居た。太宰は疎開時代、この離れで、『冬の花火』『トカトントン』などを執筆しました。

下段一番右は、階段国道。龍飛崎を通る国道339号は、岬の下から灯台までの道が階段になっています。国道で階段になっているのは、全国でもここだけとか。

学生時代に一度金木を訪れたことがありますが、太宰が愛した津軽は改めて一度歩いてみたいスポットです。

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