松山の愚陀仏庵が全壊

先日12日、松山にある「愚陀仏庵」が全壊したそうです。

http://www.asahi.com/national/update/0712/OSK201007120156.html

豪雨で裏山の土砂が崩れ、建物全体が流されたとか。

漱石が暮らした当時の建物は戦災で失われ、再建された建物ではありますが、漱石と子規が交流した息吹を感じることのできる数少ない空間でもあったので、残念です。

2004年8月、ていぱーくで開催された「サマーペックス'04」の特別展示の企画を担当しました。新札の切り替え時期でもあったことから、漱石と一葉をテーマにとりあげましたが、その展示のための取材で松山を訪問し、漱石と子規ゆかりの地を取材してまわったのが、6年前の7月、ちょうど今頃の季節でした。

愚陀仏庵にも足を延ばしたので、記録の意味もこめて、その当時に撮影した愚陀仏庵の写真を紹介したいと思います。

画像


明治28年4月9日、松山中学の英語教師として赴任した夏目漱石は、旅館城戸屋に落ち着きますが、その後、下宿愛松亭に移りました。そしてまもなく、上野義方宅の離れに居を移し、その下宿を「愚陀仏庵」と名づけました。「愚陀仏」というのは当時の漱石の号でした。

一高時代の同級生だった正岡子規は、日本新聞社の記者として日清戦争に従軍していましたが、帰国の途上、船上で吐血し、神戸で療養した後、同じく明治28年5月に故郷松山に戻ってきました。たまたま漱石が一人で下宿していると知り、連絡をとりあいます。漱石の勧めもあって、子規は漱石の下宿に同居することになりました。

愚陀仏庵のあった場所は、現在市街地の中で、駐車場になっています。建物は松山城に向かう高台に移築され、復元されています。

愚陀仏庵に向かう道にある道標です。

画像


愚陀仏庵の解説版。ここで漱石と子規が五十余日を過ごしたことが記されています。

画像


愚陀仏庵外観。周囲は木々に囲まれ、建物全体をフレームにとらえるのは難しかったと記憶しています。

画像


建物の前のたて看板。四月から十一月まで、毎週土日祝日はお茶席が設けられていました。

画像


建物一階の様子。開放的な和室空間が広がります。子規は一階、漱石は二階に暮らしていました。

画像


ここで何度となく句会が開かれたのでしょうか。

画像


和室の外は、狭い縁側が周囲を囲んでいます。

画像


画像


すぐ後ろに山が迫っています。この山が崩れたのでしょうか。

画像


画像


画像


こうして写真を眺めてみると、一度見ておいてよかったなと思います。もう写真でしか見ることができないというのは、やはりさびしいものですね。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

  • 松山の「愚陀仏庵」がもとあった場所

    Excerpt: 先日、土砂に流されて全壊した、松山の愚陀仏庵。全壊したのは、ブログにも書きましたが、復元された建物でした。 Weblog: 切手と文学 racked: 2010-07-21 00:00
  • 松山子規記念博物館のエコーはがき

    Excerpt: 正岡子規のふるさと松山には、子規の生涯をたどることができる子規記念博物館があります。今回は、この博物館をデザインしたエコーはがきを紹介しましょう。 Weblog: 切手と文学 racked: 2011-09-29 08:13