宮城道雄と刈谷駅(1)供養塔までの道のり

名古屋駅から東海道線の快速に乗り、豊橋方面に20分ほど行った場所に刈谷という駅があります。周辺にはデンソーなどトヨタグループのメーカが本社や工場を構えており、私も何度か出張で訪れました。

この駅の近くに、盲目の筝曲家、宮城道雄の供養塔があるというので立ち寄りました。

宮城道雄は1894(明治27)年4月7日、兵庫県神戸市に生まれました。病気により8歳で失明しますが、生田流の二代中島検校に入門してから琴の腕前はめきめきと上達し、11歳で免許皆伝、14歳で作曲した「水の変態」は伊藤博文に認められ、22歳の時にはこの道の最高位である大検校となっています。正月になると必ず耳にする名曲「春の海」を作曲したのは、道雄が35歳の時でした。

1994年には、宮城道雄生誕100年を記念して、文化人切手が発行されています。押印されているのは、道雄の生誕の地である神戸中央局の絵入りハト印です。

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ハト印に描かれている左側の人物が宮城道雄です。右の人物は、このとき同時に文化人切手として発行された速水御舟。ともに1894年生まれなので、1994年が生誕百年でした。

さて、私が宮城道雄と刈谷駅のかかわりを知ったのは、宮城道雄の親友であった作家の内田百閒の随筆『東海道刈谷駅』でした。下は、私の手元にある旺文社文庫版『東海道刈谷驛』です。ここには、いくつもの随筆が収録されており、そのうちの一つが昭和33年11月号の小説新潮に発表された随筆「東海道刈谷驛」、文庫で30ページほどの短い一編です。

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この随筆には、1956(昭和31)年6月25日、演奏旅行のため急行「銀河」で大阪へ向かう途中、東海道線刈谷駅付近で走行中の列車から転落し、62歳で亡くなる宮城道雄の衝撃の最期が描かれています。

宮城道雄が急行から転落した場所は、刈谷駅の豊橋寄り、名鉄三河線が東海道線をまたぐ高架のあたりとされています。駅前の地図で見ても、宮城道雄の供養塔がある場所は明記されておらず、線路沿いを歩きながらその場所を探してみました。

下は、駅北口に掲げられている駅周辺地図です。

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追悼碑の建っている場所を赤丸と→で写真に追記してみました(実際の案内板には表示されていません)。

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駅の南口を出て数分歩くと、右手に刈谷市中央児童館(上の地図の丸番号24)、その隣に交通児童遊園(同じく25番)という施設が見えてきます。その向かいに東海道線をくぐる地下通路が整備されています。下の写真は地下通路を眺めたところ。最近整備されたと見え、舗装や壁面も綺麗です。

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この通路の左手にある坂を上ったところが目的の場所です。坂の入り口には車両止めが立っており、最初はこの先に供養塔があると気づかずに通り過ぎてしまいました。

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坂道の舗装も最近整備されたようです。この周辺は、以前はもう少し自然のままの道路だったのかもしれません。

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下は、坂を登りきって振り返ったところ。右手に見える公園のようなスペースが目的の場所でした。

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さて、ここにある碑については、いろいろ面白いことがわかりましたので、次回、詳細に紹介したいと思います。

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