木下杢太郎の生家訪問

伊豆半島の中ほど、伊東温泉を訪れた帰りに、伊東市内にある木下杢太郎の生家を訪ねました。

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木下杢太郎(本名:太田正雄)が生まれたのは明治18年8月1日、幼い頃から江戸文化や明治の近代文化に親しんだ彼は、13才のときに上京。独協中学、一高、東大医学部へと進みました。

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杢太郎の実家は『米惣』という雑貨問屋でした。記念館の入口脇、海鼠(なまこ)壁の上にその屋号が掲げられています。

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昭和60年10月5日、杢太郎の甥にあたる太田慶太郎氏が杢太郎の資料を伊東市に寄贈し、実家である雑貨問屋の建物をそのまま利用して「伊東市立木下杢太郎記念館」が開館しました。入館料100円というのは良心的な設定ですね。

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在学中に文学に熱中した杢太郎は、「明星」への参加を通して北原白秋や石川啄木らと親交を深めました。明治41年には、白秋らと新潮社を脱退し、新たにスバルを創刊。その後も「パンの会」を結成し「屋上庭園」の発行に携わるなど、旺盛な文芸活動を展開しています。

ところが、家人の反対にあって、芸術の道に進むことはあきらめざるをえませんでした。医学の道を選んだ杢太郎は、最終的には東大医学部教授となっています。

記念館には、杢太郎が学生だった頃のノートや研究道具、スケッチ画、彼が著した詩や戯曲の初版本などが展示されており、杢太郎の多彩な文筆活動の一端を垣間見ることができます。

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また、記念館の裏手に隣接して、杢太郎一家が暮らしていた建物が復元保存されています。

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下の写真は、杢太郎が生まれた部屋とされているところです。

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非常に小さな部屋ですが、のちに大きな仕事をなしとげる人物がこの世に生を受けた、その原点が、まさにこの空間であったことを思うと、感慨深いものがあります。

記念館を出るとすぐ左手に伊東の海が見えます。杢太郎少年はこの浪音を聞きながら育ったのでしょうか。今も変わらぬその浪音を耳に、伊東を後にしました。(取材:2012年1月31日)


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