文士が愛した鵠沼の東屋旅館(3)移設された門柱を発見

以前、このブログで鵠沼の東屋旅館跡に門柱の痕跡を見つけたことを書きましたが(http://ikezawa.at.webry.info/201107/article_8.html)、その後調べたところ、門柱の実物が残っていることがわかりましたので訪問してきました。

門柱は元あった場所ではなく、東屋のすぐ近くの鵠沼公民館の前に移設されているとのことです。小田急鵠沼海岸駅を降りて徒歩数分、公民館を併設した鵠沼市民センターの建物が見えてきました。

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公民館の前には、鵠沼の地名の由来などを記したプレートがあり、その周囲に門柱が移設されているのかと捜してみたのですが、どうも見当たりません。

公民館の中に「鵠沼郷土資料展示室」というコーナーを見つけたので、受付の方に訪ねたところ、門柱は公民館の裏手にあるとのことで、その場所まで案内していただきました。

これが、東屋の海浜口に建っていた門柱の片割れです。東屋の敷地の中ではもっとも海に近かったこの門を、芥川龍之介をはじめとする文士たちが出入りして、海岸を散策したのです。きちんと解説板も設置されていました。

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長年、海風に洗われてきたからでしょうか。石の表面はかなり凸凹がはげしく、時代の重みを感じさせます。

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展示室の受付の方の話によると、東屋跡から移設した当初は、同じく公民館の敷地の別の場所にあったそうですが、防災設備を格納した物置を設置することになり、最近場所を移したそうです。

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もともとは、下の写真に写っている物置がある場所に、門柱が移設されていたそうです。

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郷土資料展示室には、その東屋に関する資料もいろいろ収蔵されているというので、見せていただきました。

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かつての東屋を偲ぶ写真や絵はがき、かつての門柱を撮影した写真などを多数閲覧することができ、大きな収穫でした(資料は実物ではなく、ほとんどコピーでしたが)。それによると、この門柱は関東大震災後に建てられたもので、1983年に撮影された写真では二本とも残っていますが、2001年頃の写真では片側一本のみになっていることがわかりました。この間に、もう一本は解体されてしまったようです。

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2005年に最後の一本も宅地整備のため撤去することになり、同年8月5日、公民館の敷地に移されたとのこと。数奇な運命を辿りながら、ひっそりと木陰に立つ石造りの一本の柱は、無言で鵠沼の歴史を語り継いでいくことでしょう。

ところで、資料室にあった昔の写真を見ていて、あることに気づきました。

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門柱の手前の地面は不規則な形状の石を並べた石畳となっていますが、路面の遺構は意外と残っていることが多いもの。この石畳もまだ残っているかもしれないと思い、再度現地まで足を延ばしました。

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やはり思った通りです。石畳は道路の一部として、しっかり残っていました。よく見ると、門柱の跡がその石畳の端に位置しているのがわかります。

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なぜこの一角だけ路面がガタガタしているんだろうと疑問を抱く人もいるかと思いますが、門柱跡のプレートとあわせて石畳をそのまま保存してあるという事実に、地域の方の鵠沼を愛する気持ちが感じられるように思います。かつて広大な池や離れの茅葺屋根が点在した風流な旅館の痕跡は現在ほとんど失われてしまいましたが、何気ない光景の中にちょっとだけ歴史のかけらを見つけたようで、少し嬉しくなりました。

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