斎藤茂吉展を見てきました

神奈川近代文学館で開催中の「茂吉再生 -生誕130年記念斎藤茂吉展-」を見てきました。

私のコレクションにも、茂吉の書簡が何通かあります。3年前(2009年)のスタンプショウでは、それらの直筆書簡や関連資料をまとめて『斎藤茂吉の生涯』として審査員出品し、その際に茂吉の資料は種々集めたのですが、実は山形の茂吉記念館は訪れたことはなく、まとまった形で茂吉の筆跡や遺品に触れるのは今回の茂吉展が初めてでしたので興味深く拝見しました。

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今回の展示につけられたタイトルは「茂吉再生」。これは、明治・大正・昭和という時代の中でさまざまな苦悩を乗り越え、そのたびに生まれ変わった、という茂吉の生き方をイメージしてつけられたとのことです。あまり知られていませんが、太平洋戦争中には戦意高揚に繋がる歌を詠んだことから、戦後に戦争責任を追及される、といった試練もあったようです。展示全体は、「歌との出会い」「生を詠う」「茂吉再生」の3部門構成となっていました。

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今回の展示では、茂吉が少年時代に記した日記が初公開されました。和紙に毛筆で書かれたこの日記は、山形県の生家に保存されていたものとか。「今日ハ朝5時ニ起キタリ朝業ニハ裏庭ヲ掃除シ後画ヲ画キタリ午後9時ニ寝ヌ」と几帳面な筆跡で書かれています。早起きして家の手伝いをし、絵を描いたり川遊びをしたりする、少年らしいみずみずしさにあふれた日記です。この日記は、茂吉が13歳だった1895年8月のものと推定されています。

展示の中盤で、短歌を朗読する声が聞こえてきたのですが、これは茂吉の肉声でした。解説によると、これは1938年、茂吉が56歳の時に録音された自作短歌9首の朗読とのこと。ゆったりとした、語り掛けるような口調です。普段あまり耳にする機会のない作家の肉声に触れることができるのも、こうした文学展の楽しみでもあります。

ちなみにここで朗読されていたのは以下の9種です。茂吉自身が選んだのかどうかはわかりませんが、いずれもリズミカルで印象的な調べに満ちています。

ゆふされば大根の葉にふる時雨いたくさびしく降りにけるかも

朝あけて船より鳴れる太笛のこだまはながし竝(な)みよろふ山

草づたふ朝の蛍よみじかかるわれのいのちを死なしむなゆめ

うごきゐし夜のしら雲の無くなりて高野の山に月てりわたる

寒水に幾千といふ鯉の子のひそむを見つつ心なごまむ

むかうより瀬のしらなみの激ちくる天竜川におりたちにけり

松かぜのおと聞くときはいにしへの聖のごとくわれは寂しむ

石亀の生める卵をくちなはが待ちわびながら呑むとこそ聞け

ガレージへトラックひとつ入らむとす少しためらひ入りて行きたり



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茂吉が息子である北杜夫に宛てた書簡に、面白い一文を見つけました。曰く、「自分(茂吉)の歌など読んでは駄目だ」といった主旨の一言がしたためられています。作家を目指していた息子が父の歌を尊敬している、と書いてきたことに対する返信のようですが、これは茂吉が謙遜して言っているのではなく、茂吉自身、今のままでは駄目だというもどかしさや苦悩を抱えてたことの現われかもしれません。それとも、息子には自分を越えて欲しい、と願う父親としての素直な気持ちから出た言葉でしょうか。


* * *

文学館からの帰りは、山手の洋館を眺めながら散歩。

山手イギリス館の手前はバラが満開で、多くの人で賑わっていました。

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「外交官の家」の庭にも花が咲き誇り、そばのブラフ18番館では結婚式が行われていました。

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新緑に映える山手234番館。昭和2年に建てられた、外国人向けの共同住宅です。

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外人墓地を、デジカメのミニチュアモードで撮影してみました。

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なお、茂吉についてはこのブログでも何度か書いてきましたので、ここにリンクを貼っておきます。

茂吉の切手
茂吉のエコーはがき
芥川自殺の睡眠薬を処方した茂吉

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