与謝野晶子と堺(3)千利休と山之口商店街

先日、堺にある与謝野晶子の生家跡とゆかりの寺を紹介しましたが、堺には他にもいろいろゆかりの場所が残されていますので紹介しておきましょう。

晶子の生家跡から徒歩数分、宿院の交差点から少し南西に入ったところに、千利休が住んでいたと伝えられている場所があります。駅前で入手した地図を頼りに、足をのばしてみました。建物の谷間にポッカリ現れる、芝を植えた公園のような空間が、めざす場所でした。特に大きなランドマークはないので、うっかりすると通り過ぎてしまいそうです。

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柵で囲まれていて敷地内には入れませんが、利休が使ったとされる井戸が復元され、庭石と石灯籠が風雅な時代の息吹を感じさせてくれます。

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紀州街道と並行して続く山之口商店街は晶子一色でした。アーケード内の両脇に立つ街頭には、晶子の歌が書かれた垂れ幕が下がっていました。

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よく見ると、垂れ幕にはすべて異なる歌が書かれているようです。また、南側から見ると紫、北側から見ると茶色のデザインになっており、晶子の肖像写真も別のものが使われていて、両面が異なる歌という、凝ったつくりです。あまりにも数が多いので、すべて撮影するのはあきらめました。

アーケードの中央から垂れ下がる幕に描かれているのは、堺のシンボルである燈台と歌を詠む晶子の姿、そして歌「海恋し 潮の遠鳴り かぞへつつ 少女(をとめ)となりし 父母の家」。

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訪問した日は晶子の誕生日である12月7日が近かったので、その誕生日を祝う特別なデコレーションだったのかもしれませんが、地元の人たちにとって、与謝野晶子が誇りであることがよくわかります。

この商店街の中ほどに、開口(あぐち)神社があります。二つ前の写真の右側にちょっと写っている鳥居がそれです。鳥居を正面からとらえたのが下の写真です。

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幼少の晶子が、この神社の境内で遊んだと伝えられています。

堺の市街地には神社仏閣が密集し、それも寺社の敷地が特別な空間ではなく、街の生活と密着している印象を受けます。堺という町が商人によって支えられていた時代、庶民の生活に寺社が溶け込んでいたことがうかがえます。

商店街のはずれに、「与謝野晶子探訪ステーション」という、ちょっとした無料のギャラリーがあり、晶子の生涯をパネルで紹介していました。ここは期間限定のようでしたが、こうした施設は常設にして、いつでも見られるようになっているとありがたいなと思います。

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ところで、JR阪和線の堺市駅のそばに、アルフォンスシュミュシャ美術館に併設された与謝野晶子文芸館があります。なぜこの二人が一纏めなのか疑問でしたが、見学してみてその理由がわかりました。これについては、また次回紹介いたします。

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