盛岡高等農林学校の絵はがき

宮澤賢治は、大正4年(1915年)、盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)に首席で入学しました。ここで寄宿舎生活を送りながら、岩手山に登り、鉱物採集に熱中し、友人と同人誌を発行して短歌を発表するなどしています。この時期に、その後の創作活動の源が形作られたと言っても良いでしょう。

さて、宮澤賢治本人のものではありませんが、その盛岡高等農林に関連した書簡を発見しましたので、紹介しましょう。

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これは、明治37(1904)年、盛岡からフランスに宛てて差し出されたはがきです。

切手は、菊切手の3銭と1銭が貼られ、明治37年1月8日の盛岡局の丸一型印が押されています。その下に押されているのは、1904年1月9日の東京の欧文印。当時は外国宛の手紙は船便でしたから、横浜まで運ばれたあと、船に積み込まれたわけですが、その過程で押された中継印と思われます。

宛名は、Mousieu Flamant 32 Bauld le Batignolle Paris Franceとあります。パリのバティニョール通り32番のフラマン氏宛て、ということになります。

さて、裏面を見てみましょう。下半分に、盛岡高等農林学校の写真が印刷されています。おそらく、学校内で販売されていたか、関係者に配布された記念品の類ではないかと思われます。

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本文は、フランスに滞在していた際に大変お世話になった旨のお礼が、流麗なフランス語で認められています。差出人は「Imai」なる人物ですが、詳しいことはわかりませんが、明治期に渡仏経験があり、自在にフランス語を操っていたことから察して、かなり教養の深い人物ではないかと推察されます。

さて、この絵はがきに写っている建物は、何でしょうか。

盛岡高等農林学校は、わが国最初の高等農林学校として1902年(明治35年)に設立されました。このはがきは、創立2年後に差し出されたことになります。当時はまだキャンパスの整備が進む途上でした。現存する、旧盛岡高等農林学校の本館は、1912年(明治45年)5月に起工し、同年(大正元年)12月に竣工していますので、このはがきが差し出された時にはまだ存在していませんでした。

現在、旧盛岡高等農林学校本館は重要文化財に指定され、農業教育資料館として活用されています。以前、この資料館を訪問した際に入手したパンフレットには、下のような古いキャンパスの鳥瞰図が掲載されてました。

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この図を見ると、中央より右側に旧本館が見えます。そして、一番手前に、横に長く横たわっている建物が、この絵はがきの建物であるように思われます。

また、絵はがきに写っている正門の左側には、小さな守衛所の建物が見えますが、これは、1903年(明治36年)、正門の脇に建てられた門番所だと思われます。寄せ棟風八角造りのこの建物、旧本館が竣工した際に場所を移されましたが、現存しており、1994年には需要文化財に指定されています。

http://www.gijyutu.com/ooki/tanken/tanken2005/moriokanou/moriokanou.htm

したがって、この絵はがきの建物は、創建当時から少なくとも大正にかけて、正門の前にあった建物、ということになります。少し時代は下りますが、宮澤賢治もほぼ同じ光景を見ていたと思われ、当時の面影を感じることができる、興味深い資料です。

さて、下にあげたのは、旧本館のパンフレットです。

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表紙に、岩手大学の近くにある盛岡上田郵便局の風景印を押印してみました。

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風景印には、旧盛岡高等農林学校本館の建物と、岩手山がデザインされています。私が訪問したのは日付からもわかるように10年前ですので、パンフレットのデザインは新しくなっているかもしれません。

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