テーマ:風景印

北原白秋と平塚音頭~風景印に描かれた碑の形状の謎

先日、平塚富士見局の風景印を押印してきましたので紹介します。 風景印の図案は、東海道五十三次の「平塚」をそのまま取り込んだもので、広重のサインや落款なども正確にデザインに反映されています。五十三次の「平塚」をとりあげた2004年の国際文通週間の90円切手に押印してみましたので、切手と比較するとよくわかるかと思います。 丸い形…
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徳富蘆花の墓をデザインした風景印

以前、世田谷の芦花公園にある徳富蘆花の墓を訪問し、このブログでも紹介しましたが、その墓をデザインした風景印を押印してきましたので紹介いたします。 これは小田急成城学園前駅から徒歩で20分ほどの場所にある成城郵便局の風景印です。 風景印の上部に描かれているのは成城学園前通りのイチョウ並木です。押印で訪れ…
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スタンプショウで「風景印文学散歩」展示中

本日まで浅草で開催中のスタンプショウ2012にて、風景印と文学をテーマとしてまとめた作品『風景印文学散歩』を展示しています。 このブログでも紹介してきた文学テーマの風景印を、関連する資料とともに多数展示しておりますので、ぜひご覧ください。 本日15時15分からは、作品前でトークも予定しています。
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啄木と銀座

昨日、4月13日は、石川啄木が亡くなってちょうど100年目にあたる日でした。それにちなんで、啄木の歌碑がデザインされた銀座の朝日ビル内郵便局の風景印を紹介しましょう。 啄木は北海道各地を放浪した後、明治41年に上京、朝日新聞編集長であった佐藤北江氏に履歴書を送ります。佐藤北江は啄木と同じ岩手出身で、かつては岩手新聞の記者で…
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湘南文学散歩(2)北原白秋と『城ヶ島の雨』

前回に引き続き、切手の博物館で展示中の『湘南文学散歩』のマテリアルを紹介します。 詩人・北原白秋は明治43年(1910年)、25歳の時に初めて三浦を訪れました。隣家の人妻と姦通事件を起すのはその二年後。夫とは離婚したはずの人妻俊子が法的には離婚していなかったため、俊子の夫に訴えられてしまい、白秋と俊子は市ヶ谷未決監に二週間拘留され…
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遊行寺を描いた風景印

前回のブログで紹介した藤沢の遊行寺は、近くの藤沢郵便局の風景印にも描かれていますので紹介しましょう。 遊行寺本堂の大屋根とともに、藤沢市のシンボルである江ノ島と富士山が描かれています。 この風景印、実は昨年、年賀切手が発行された11月11日に図案が改定されました。上に紹介したのはその最終印です。下が、改定初日の風景印…
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徳富蘆花が暮らした世田谷を訪ねて(2)蘆花旧宅と粕谷局風景印

前回に続き、蘆花恒春園の蘆花旧居を紹介しましょう。 徳富蘆花は、20代の頃からトルストイに心酔、明治39年にはロシアに赴いて実際にトルストイに会っています。別れに際して、トルストイは蘆花にこう尋ねたといいます。 「トクトミ、君は農業で生活することはできないかね」 この一言が、後の蘆花の人生を変えました。自然の中で農業生…
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目白にて「風景印文学散歩」を展示中

東京目白の「切手の博物館」で昨日から始まった「切手の博物館開館15周年記念展 15人の風景印コレクション」に、2フレーム(32リーフ)の作品『風景印文学散歩』を出品しています(http://yushu.or.jp/museum/toku/index.html)。 このブログでも紹介してきた、文学にゆかりのある風景印を多数、展示しま…
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北原白秋と伊豆下田

北原白秋の歌碑をデザインした風景印を紹介いたしましょう。 白秋は、昭和9年から14年にかけて、しばしば伊豆を旅しています。その際によく利用したのは、伊豆の長岡温泉南山荘でした。昭和9年6月3日にも、富士裾野における野鳥の会に参加したあと、南山荘にやってきて、ここで六日間をすごしました。 この時、門下生の案内で、城ヶ島、天城、…
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滝川の啄木歌碑

明治40年(1907年)12月、啄木は10月から勤めていた小樽日報を去ることになりました。その後、友人の斡旋でなんとか釧路新聞の記者として就職が決まり、単身、釧路へ発つことを決意します。 明治41年(1908年)1月19日、降りしきる雪の中、子供を背負った妻に見送られながら、啄木は単身釧路へ向かいました。この時詠んだ一首には、啄木が別…
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正岡子規と風呂吹き大根

本日、9月19日は、歌人・俳人の正岡子規の命日です。子規がわずか34歳の短い生涯を終えたのは、1902年(明治35年)のことでした。子規は晩年、脊椎カリエスの激痛に耐えながら根岸にあった自宅で3年ほど寝たきりの生活を送りました。その自宅は震災で焼失してしまいましたが、後に復元され、現在「子規庵」として一般に公開されています。今回は、その…
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切手になった金子みすゞ(2)

2003年4月11日に、山口県のふるさと切手「みすゞとふるさと長門」が発行されました。金子みすゞ生誕百年を記念したもので、発行日の4月11日は金子みすゞの誕生日です。 切手のデザインについては、前回のブログをご覧ください。 http://ikezawa.at.webry.info/201105/article_7.htm…
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広瀬川と朔太郎詩碑

前橋局の風景印には、広瀬川とともに萩原朔太郎の詩碑がデザインされています。前橋市内にあるこの碑を、実際に訪ねてきました。 前橋駅の北口を出て国道50号線まで歩きます。にぎやかなアーケード街(中央通り)の東側に、国道17号線が走っています。この17号線には竪町(たつまち)通りという標識がありましたが、前回のブログで紹介したよ…
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『ガラスのうさぎ』と二宮(2)

二宮駅南口には、タクシー乗り場とバス乗り場のあるロータリーを囲むように、交番や書店、食堂が並んでいます。そこから少し歩くと国道一号線のT字路にぶつかります。その信号脇に、「みせ吉」という古風な和菓子屋を見つけました。 ガラス戸に、「ガラスのうさぎ まんじゅう 三色最中」と貼りだしてあります。 せっかくなので、まんじゅうと三種…
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伊藤整の文学碑

作家、伊藤整は、1905(明治38)年1月16日、北海道の松前郡に生まれました。この伊藤整生誕の地の碑をデザインした風景印がありますので紹介しましょう。 塩谷局の風景印に、「伊藤整文学碑」とぶどう、塩谷の海岸風景がデザインされています。塩谷海岸一帯は100メートル前後の断崖絶壁が続き、多くの岬や入江によって彩られた景勝地で…
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江戸川乱歩生誕の地

前回のブログでは、池袋の地下街で展示されている乱歩ゆかりの品を紹介しましたが、それに関連して、今日は乱歩生誕の地の風景印を紹介しましょう。 江戸川乱歩は明治27年10月21日、三重県名張で生まれました。乱歩の父が、名張町にあった名張郡役所の書記を勤めていたときに誕生した長男が江戸川乱歩(本名・平井太郎)です。明治28年6月に父の転…
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本日より「都の西北 郵便から見た早稲田大学史」展がはじまります

本日より、ワセダギャラリーで「都の西北 郵便から見た早稲田大学史」展が始まります。 http://www.waseda.jp/alumni/125/philately.html 案内チラシは、私がデザインしました。 私の早稲田大学に関するコレクションの展示が中心で、大隈重信、坪内逍遥、高田早苗、会津八一、相馬御風などの…
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盛岡高等農林学校の絵はがき

宮澤賢治は、大正4年(1915年)、盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)に首席で入学しました。ここで寄宿舎生活を送りながら、岩手山に登り、鉱物採集に熱中し、友人と同人誌を発行して短歌を発表するなどしています。この時期に、その後の創作活動の源が形作られたと言っても良いでしょう。 さて、宮澤賢治本人のものではありませんが、その盛岡…
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うな重のフォルムカード

9月8日、東海・関東地方を台風が直撃し、交通機関が大きな影響を受けました。私はその日、浜松に出張しており、帰りの新幹線が浜松駅で1時間半にわたり運転見合わせとなってしまいました。 さて、最近の地方出張の楽しみといえば、フォルムカード。郵便局で販売されている、全国各都道府県の名産をテーマにしたご当地カードで、一枚180円。120円切…
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啄木と大森浜

今、北海道の実家に帰省しています。東京も猛暑日が続いていますが、北海道も例年になく暑い日が続いています。 さて、今日は北海道にちなんで、石川啄木を描いた函館の風景印を紹介しましょう。 明治38(1905)年、19歳の啄木は経済的に困窮していました。父が宗費滞納を理由に住職を罷免させられ、結婚していた啄木は、妻と両親と妹の4人…
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石川啄木と釧路

1908年1月21日、石川啄木は釧路新聞社の記者として、はじめて釧路を訪れました。 釧路郵便局の風景印には、釧路のシンボルとも言える幣舞橋とともに、啄木の歌碑が描かれています。 しらしらと氷かがやき 千鳥なく 釧路の海の冬の月かな この歌碑は、市内や釧路港を見渡せる米町公園にあります。釧路短歌会により、…
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慶應湘南藤沢キャンパスの風景印

昨日、帰宅すると、風景印を押印した葉書が一枚、届いていました。 押印されていたのは、藤沢慶応前郵便局の風景印です。一昨日(2010年5月10日)が使用開始とのことです。地元の郵趣家の方が、わざわざ使用開始日に出向いて差し出してくれたものでした。 この郵便局、我が家からは車で20分たらずの場所にありますが、一度も利用し…
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定山渓温泉にて

連休を利用して、北海道の実家に帰省しています。 昨日(30日)から、定山渓温泉に来ています。札幌からバスで50分ほど、ひさしぶりに都会を離れて、のんびりしています。昨日は平日だったので、定山渓郵便局を訪問し、風景印をもらってきました。 豊平川の上流にある定山渓、まだ山肌のところどころに雪が残っていました。豊平…
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